« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月20日 (木)

老健あきらめる

なかなか老健から連絡がこないので、病院のソーシャルワーカーにいつ頃空く予定なのかを聞いてもらうことにした。
もしも長くかかるようだったら、これ以上病院にいるのは無意味だ。
母は元気になってきたので、病院での生活は状態を悪化させかねないからだ。
そうそうに返事が来た。なんと早くても2ヶ月先とのことだった。
それならそうと早く言ってよ~!って感じだ。

この先さらに2ヶ月も入院させるわけにはいかないので、退院の方向で準備をすすめることにした。

退院後は家で一人になるので、デイでリハビリに通ったり、ヘルパーさんをつけなければならない。その場合まず最初にケアマネさんを決めるそうだ。
区の介護保険で登録されている事業所に問い合わせケアマネさんを探す。
ところが電話を何件かかけたが、ケアマネはどこも空いていなかった。

4月からの制度改正で、ケアマネさんが受け持てる介護者が20人?だったかな、とにかく人数が制限されたせいで、ケアマネが人手不足になっているらしい。
順番待ちで老健に入れないどころか、ケアマネさえ順番待ちなんて。
どうしよう・・・と途方にくれながら、さらに何件か電話してみると、
「探してあげましょうか?」といってくれた事業所があった。
えー本当?? なんて優しい人なんだ!と感激しつつ早速お願いした。

2日後、ケアマネが見つかった。
やはりこういうことは、自分だけで悩んでいてはいけないんだね。
介護問題では苦しんでいる家族がいっぱいいるという。制度が複雑だからうまく使えない人もいる。だからこんなとき助けてくれる人がいたら、積極的に助けてもらうのは必要なのではないだろうか。

さて、さっそくケアマネさんに電話連絡をする。
ケアマネさんは自宅からは少し距離があるところの事業所から来てくれるらしい。
ただ、遠くてもサービスを受けるのは近所でかまわないとのことだ。
とりあえず、母の状態を説明する。
日中一人なので、できるだけたくさんデイやリハビリに通わせたい。
糖尿病なのでインスリンの注射が必要になる。
糖尿病の食事の宅配など。などなど

ケアマネさんは、土日はお休みらしいので普段の日で合える日はないかとのこと。
ちょうど来週から夏休みだったので、2日の日に病院で会う事になった。

母のほうは、退院の準備として自分で血糖値測定とインスリン注射が打てるようにすることを目標とした。
看護婦さんに教えてもらうそうだ。
毎日、弟が打つのも負担になるので、後々のことを考えても自分で打てるようになるのがベストだろう。
自分のお腹に注射を打つのは、辛いががんばって欲しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月16日 (日)

美容院(術後124日目)

日曜日に近所の美容院へ行ったそうだ。
行きは父に連れて行ってもらい、帰りは美容室の人が近くまで送ってくれたという。
開頭手術のせいで、母の髪の毛はおでこの上だけが短くなっていて、はっきりいって変な髪形だった。
美容院へ行きたいとずっと言っていたので、綺麗にしてもらってよかったね。

ところが、よかったね。だけでは終わらなかった。
1万円を持っていったのに、家に戻ったときには500円しかお釣りがなかったそうだ。
母は6千円をポケットに入れたはずだと言っているが、実際にはポケットには何も入っていなかった。小銭の500円だけを子供のように手に握り締めて帰ってきたという。
父があわてて、来た道を戻り探してみたが、なかったという。

その話を弟から聞いたのだが、父はそれを母に問い詰めるなと言っているそうだ。
お母さんがかわいそうだから、という理由らしいが、何言ってんだろ?
お金を無くした事は、過ぎたことだからしかたがない。
問題は、忘れる事を母自身に自覚させなきゃいけないのだ。

何だか父は、母が失敗するとごまかそうとしたりする。
そして、病気になる以前の母にもどるものだと信じている。
母は決して元に戻る事はないし、病気がなくても人間は老いていくのだ。
それを認めようとしない。
言ってもわからないのだ。

だから、わざとはしごに上らせたり、ご飯をいっぱい食べさせようとしたりする。

なぜはしごに登ってはいけないのか、なぜご飯をたくさん食べてはいけないのか。
母は説明すれば、そのときは納得してくれる。
でも、健康な父のほうが、わかってくれないのだ。

これから、ますます年を取ったらどうなっていくのだろう。
先が思いやられる。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月15日 (土)

老健への準備(術後123日目)

この3連休、また外泊した。
そろそろ来週あたりから老人保健施設に移動するかもしれない。
そう思い、パジャマや着替えを用意した。

病室に同じ老健から来た人がいるそうだ。
「あそこはよくない。意地の悪い人ばかりだ」という話を聞いて、母はちょっといくのが嫌になっているようだ。

しかも、お父さんまで床屋さんで、評判が悪いんだよという話を聞いてきた。
施設に入って、余計悪くなったというような話だ。
たしかに高齢でボケが進んで入った場合には、余計に悪化するという話はよくある。
それは特定の施設のせいで悪化するわけではなく、施設そのものの性質にあるような気がする。

母の場合は認知症で入所するわけではないのだから、本人のやる気次第で結果はよくもなり悪くもなるのだろ。それは母次第だ。病院や施設の印象は個人によって違うもの。
母は、ぼけて入るわけではなく、リハビリのため、体力くをつけるために入所するのだ。
自分から積極的にリハビリを行えば、よいだけだ。

風呂に入るのを見守っていたが、先々週に比べ、足の筋肉も増えている気がした。
病院では、一人で階段の上り下りなどをしているんだといっている。
徐々に足元もしかかりしてきたようだ。
ところが、お湯を出しっぱなしで、風呂から出ようとする。

やはり、物忘れが一番大変な問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

カレーライス(術後122日目)

水曜日、病院のリハビリで買い物に行ったそうだ。
病院から徒歩3分くらいのところにスーパーがあり、そこまで、リハビリの先生と一緒に歩いていき、買い物た。あらかじめ用意しておいたリュックサックに買った材料を詰めて帰ってきたという。

そして、金曜日。
そのとき買った材料を使ってカレーライスを作ったという。
母はそのときのことをとっても嬉しそうに、少し興奮気味に話してくれた。

自分のやり方で作っていいって言われたからね。
じゃがいもと、たまねぎと、にんじんと、お肉と、
適当に切って、炒めて、煮込んでね。
それでね、最後にカレールーで調整したの。
少しなら味見しても良いって先生から許可が出たから、少ーしだけ味を見て調整したんだよ。

自己流の味ですからおいしいかどうかわかりませんけど、食べてください。
って言ってリハビリの先生たちに、食べてもらったんだよ。
そうしたら、先生たちがね次々に病室に来てくれて
「おいしかったよー。お母さんのカレーの味だったよ。」って、お礼を言ってくれてね。
一人の先生なんか楽しみにしていたのに、気が付いたらもう残ってなかったんだよー。
って残念がってたんだ。

母はとても嬉しそうだった。
教えられなくても自分でちゃんと料理が作れた事。
自分の作った料理をみんなが喜んで食べてくれた事。
きっと、自信がもてたに違いない。

しかも、人の世話をしたりして感謝されるのは、母にとっては一番嬉しいこと。
いろんなリハビリをやってくれるんだなー。
リハビリの先生たちには、日々感謝の気持ちでいっぱいだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 9日 (日)

日記と塗り絵(術後118日目)

病院で母と一緒に日記をつける。
病院で一日分だけつけてあったが、私が言わないと自分からはやらないようだ。
やったことを忘れてちゃうから、何を書いていいかわからない。と言う。

忘れてもいいんだよ。覚えていることだけを書けばよいんだ。
正しく書くことが目的じゃなくて、今日あったこと何でもいいから書くことが大切。
書くことで脳が活性化され、日記に書くから覚えていようと意識が働く。
それが大事だと説明する。

母は生真面目で、正しい事が好きな人、つまり間違えたくない人なのだ。
だからきちんと書けなければ、意味がないと思ってしまうのだろう。
塗り絵にしても上手く描けないから嫌だという。
「こんな下手じゃ、だめだよ。」と自分の塗った絵を批判する。
母は絵心が無いので、元気な時だってうまくは描けなかったはずだ。

うまく書くことが目的じゃなくて、絵を描いたり色をつけたりすることで右脳の働きがよくなり、脳の働きがよくなるんだよと説明すると。
「そっか」とその場では納得するが、実際に一人でやるときになると
きんちんとできなくて、嫌になってしまうようだ。

少しすると父と弟がやってきて、2人とも疲れていて転寝をしている
母が入院してもう5ヶ月。男2人でいろいろな疲れがたまっているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 8日 (土)

要介護2

申請から1月以上が過ぎてやっと、介護保険の認定が下りた。
要介護2だった。
立ち上がりや歩行が不安定。排せつ、入浴などに一部介助が必要。
という状態の認定だった。

確かに立ち上がるのは大変だが、排泄や入浴は自分でできるようになっている。
審査を受けた頃、母はまだ不安定な状態だったが、日に日に元気になってきた。誰かがいれば、家がもっと広くてバリアフリーになっていれば十分退院できるほどの回復ぶりだ。
今審査を受けたら要介護2はもらえないだろう。

そうはいっても、体力も落ちているし、記憶障害や、思い違い、細かい判断力などが落ちている。家で一人きりで過ごす事を考えると、やはり心配である。

先週、老人保健施設の人と、ソーシャルワーカーからまだ認定がおりませんか?
という電話があったばかりだった。
無事、介護認定が下りてとりあえずほっとした。
これで、老人保健施設の入居待ちとなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

4度目の外泊(術後110日目)

今回で4度目の外泊。
こんなに外泊できるなら退院してもよい気もしてくるが、誰かが迎えに行って、送り届けなければ移動できないのだから、社会復帰はまだ早い。

タクシーにのって家に戻る途中で、ご近所さんたちに会った。
「あら、退院したの?もうすっかり元気じゃない。本当によかったわねー。」
そう言って母の手を握って喜んでくれた。
実家は古い下町で老人が多い。
私の母親の年齢前後の人がいっぱいいる。
年々、人が少なくなっていき、みんな病気になって入院したり、そのまま亡くなる人もいる。
近所づきあいはいろいろあって大変なこともあるが、それでも何十年も毎日顔を見ていた人がいなくなったら、それは寂しいものだろう。
早く帰ってきてね。といって母を励ましてくれた。

家に帰ると、部屋の中が散らかって汚れているのが気になって仕方が無い母。
そのくせ、自分で何を引き出しに入れていたのか忘れている。
引き出しの中身を引っ張り出しては、中身を確認して、またしまって。
その繰り返し。

「まったく、なんでみんなちゃんと片付けないんだろうねー。」
などブツブツ言いながら引き出しの中身をひっくり返していた。
そして、「なんでも撮っておくからいけないんだね。捨てないとね。」
反省もしていた。

その作業ですっかり疲れてしまったらしい母。
父が仕事から帰ってきた頃にはぐったりしていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »