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2006年6月26日 (月)

脳機能の回復具合(術後105日目)

新聞を読ませる。

政治面は難しいだろうから、社会面を読ませてみた。
高校生が厳しい父親に反発して、家に火をつけて家族が無くなった話。
読むのは読めるのだが、内容の質問をすると、まだそこまで読んでないよ。
と読んだ部分をすぐ忘れてしまう。

まだ、新聞は難しいのかもしれないと思い、日曜版の、絵と図がメインになった子供のお小遣いの使い方の記事を読む。
小学生、中学生のお小遣いの使い道は、飲料、マンガ、
高校生、交際費、CD、飲料となる。

さて、小学生はおこずかいを何に使うでしょう?と質問すると、どうにか答えらる。
ところが高校生のおこずかいの使い道になると、CDがすぐ出てこない。
なんだっけ、なんだっけ。と言いながら、言葉が出ない様子。
やはり、横文字は苦手なのだろうか。
その代わりというか数字は覚えが良く、平均お小遣い6500円!
という数字はすぐに覚えることができた。
不思議なものだ。

病院の1Fを一緒に歩いた。
すり足で歩くので、できるだけ足を高く上げて!姿勢をまっすぐ!
などと声をかけながらゆっくり1Fをぐるぐる回って歩いた。
だんだん足がしっかりしてきた気がする。

そういえば、前回外泊したとき、母は家の書類を勝手にかたづけてしまったらしい。
父が「書類がない。ない。」と騒いでいた。
案の定、母はどこにしまったか記憶がないらしい。

この期に及んで、父は「かあちゃんの頭が壊れちゃった~」と嘆く。
いまさら何を言っているのだ。
壊れた頭を今リハビリで一生懸命に修復している最中なのに。
今まで、いくら母の病状を説明しても、母と直接話をしていても、母が本には戻っていないということが把握できなかったらしい。
実害が出てやっと気付いたようだ。
遅いって。

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2006年6月18日 (日)

筋力低下(術後97日目)

実家は昔タイプの木造の家で、狭い。
いろんなものが、床に落ちて散らかっている。足の悪い母にはよくない環境だ。
さらに居間ではテーブルはなく、いわゆるお膳で食事をしている。
腰の悪い母は、以前から20cmくらいの籐の椅子に座って食事をしていた。

そして昨日、その椅子から立ち上がるときにバランスを崩し、すべってころんだのだ。
座って立ち上がるのがまだ難しいとリハビリの先生から言われていたが、心配が的中した。幸い怪我はなかったが、うっかりすると大事故になる。
せっかくよくなってきているのに、こんなところで骨折でもしたら大変だ。

お風呂に入るというので、見守っていたが、自分では大丈夫と言いながらも危なっかしい。父が手すりをつけてくれたが、それでも心配である。
背中を流してあげたら、オシリの部分の筋肉が削げ落ちたみたいになくなっていた。
大腰筋というのかな?あの部分がかなり弱くなっている気がする。
だから足は動くけどひょこひょこ歩きになるのだろう。筋肉が減っているから腰の部分がまだまだ安定しなのだ。座るとなかなか立ち上がれないのも、これでうなずける。

着替えるときも、立ったまま自分でパンツを履くのは難しいようだった。
病院では椅子に座って履くのだと言う。
さっそく父に風呂のときは椅子を用意するように言う。

椅子を常時置いて置けるほど、風呂場にはスペースはない。となると風呂に入るたびに椅子を用意しなければならなくなるが、果たして毎回まめに用意してくれるだろうか。
無理だろうな。

階段も手すりをつける予定だが、それでもかなり急な階段だ。
足の悪い老人にはキツイ。
古い家というのは、老人にはやさしくない建物になっているんだなー。
としみじみ感じる。

さらに、実家には物干しがあり、そこへはなんと折りたたみはしごを上らなければならないのだ。さすがにはしごは無理だろう。ただ物干し台には母の大好きな植木がたくさんある。少しよくなったらまた植木を育てたいに違いない。

次から次へと修理するところが出てくる。
いっそのこと建て直しちゃいたいところだが、そんな余裕もない。
どうしたもんか・・・。

でもね、せっかくお母さんが生き延びてくれたんだもの。
こんな悩みも、楽しみのうちと考えていかないとね。
古くても狭くても、工夫次第でどうにかなるもんよ。
今までもそうだったんだもん。

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2006年6月17日 (土)

誕生日(術後96日目)

今日は母の70歳の誕生日。
外泊許可を得たので、午前中の洗濯など家の用事を済ませて、午後迎えに行く。
母は外泊を楽しみにしているので、できるだけ早く行ったつもりだが、それでも3時。
母はすでに病室の外で着替えて待っていた。

まだダニのせいで病室は外部の人は立ち入り禁止になっている。
その病室に吊るしてあった洋服を着ている。しかもこの暑いのにハイネックの長袖。
家から持ってきた水玉の白のサマーセータに着替えさせた。
このサマーセーターは、母が自分には小さいからと以前私にくれた物だ。
それが、痩せてしまった母にはピッタリになっていた。
今回の病気で一回り小さくなってしまった母。きゅうにおばあちゃんになってしまったようでちょっと寂しいけど、生きているんだもん。ありがたいよね。

午前中、朝食を抜いて検査があったとのことで、母はちょっとボーっとしていた。
家へ帰っても、お茶を飲んで少ししたら「寝る」といって布団に入った。
まだまだ体力が戻っていない。少しの事で疲れてしまうようだ。
でも寝ていてもらったほうが、夕飯の支度や片付けなどに集中できる。
母が起きていると、心配で目が離せないからだ。

夕飯は、お寿司がメイン。
その他、ひじき煮、かぼちゃ煮、だいこんサラダなど、糖尿病の母でも安心して食べられる野菜を中心としたおかずを作った。
食卓におかずがいっぱい並ぶとなんだか嬉しい。
久しぶりの寿司で母も嬉しそうだった。

そして、誕生日プレゼントにはNINA RICCHIのナイロン製のポシェットをあげた。
「わー素敵~」と言いながら、母はとても喜んでくれた。よかった。
今までも、母にはよくバッグをプレゼントしてきたが、みんな手提げやショルダーバックだった。ポシェットなら杖を突いても大丈夫だと思い選んだ。杖を突かなくなっても、年なので手が空いている方が何かと良いに違いない。

食事の後は、みんなでトランプをした。家族でトランプをするなんて何十年ぶりだろう。
最初にババ抜きをやった。なんと母にババが渡ってしまい、母は相手にババをぬいてもらいたくて、他のカードをぬこうとすると力を入れて抜かせないようにしていた。
子供みたいな母。
その後、夫の提案で神経衰弱をすることに。
記憶障害がある母に神経衰弱は、無理だよー。と言ったが、夫は大丈夫、大丈夫と言ってトランプを並べてしまった。

その結果、母は意外と大丈夫だった。
勝者は一番若い弟だったが、次に私、夫、母、そしてビリは父だった。
神経衰弱で同じカードをあてられた事で、母も嬉しそう。自信を持ったようだった。
夫は、やはり少し離れた目で母を見てくれるので冷静な判断ができるのかもしれない。
私や弟は心配なのが先で、なかなか冒険ができないのだ。
いろんな人に刺激を与えてもらうのが一番良いのだろう。

母の70歳の誕生日は、なんだか子供の誕生日会のようだった。
みんな子供に戻ったみたいで、楽しかったな。

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2006年6月10日 (土)

ダニ発生(術後89日目)

同室の患者さんに、疥癬(カイセン)というダニが発生したという。
なんでも、病院や施設などで発生する場合が多いらしく、長い間風呂に入らなかったり、衣服を取り替えなかったりすると、そのダニが皮膚の中に入り湿疹などが出るらしい。

人から人へ伝染するため、発症した患者さんは隔離されたようだが、同室である母たちはまだ潜伏期間中にあるため、看護婦さんや見舞い客は病室に入れない。
そのため、看護婦さんはビニールでできた防護服を身に付け病室の中で作業していた。
見舞い客も病室の中に入る場合は、その防護服を身に付けなければならない。

なんだかそんなものが発生するなんて、病院が汚いからじゃないの~?
なんて思ってみたり。
なんだか気持ち悪いので母に病室から出てきてもらい、廊下や談話室のベンチで話をした。

少し病院の玄関前へ出たり、裏口から外を覗いたり、散歩をした。
1Fへ行くと、以前お世話になった看護婦さんたちがいた。
先週1Fに行ったとき、「あらー、こんなに元気になったの?」と言われたそうだ。
母は、1Fにいたときの記憶はないのだが、おかげさまでと言って頭を下げたんだ。
なんて言っていた。
1Fへ行くと、危篤状態だった頃の事を思い出す。
あの頃から思うと本当に元気になってくれた母。
本当によかった。

ダニに感染していないと良いのだけれど。

疥癬(カイセン):(家庭の医学より)
ヒゼンダニ(疥癬虫)によって起こる病気です。衣類や寝具を介してヒトからヒトに伝染します。したがって、しばしば家庭内、施設などで集団発生します。皮膚につくと角質層に卵を産んで増殖していきます。1カ月の潜伏期間を経て、全身にかゆい皮疹がでてきます。

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2006年6月 6日 (火)

先生の話(術後84日目)

午前中、老人保健施設で説明を聞いたあと弟と病院へ寄った。
ちょうど、回診の時間で久しぶりに主治医の先生に会った。
先生も「あー」とちょっと驚いたような嬉しそうな顔をしてくれた。
「じゃあ、次は老健へ行くってことで。」と母の身の振り方を確認。
そして、なかなか話す機会も無いのでここぞとばかり、母の経過について質問の嵐。

脳の手術の後、3ヶ月くらいは水頭症の可能性があるといっていたが、どうなのか?
― お母さんが水頭症になるとしたら、それは普通の老人と同じくらいの確率です。

手術をしたときに開いた母の頭蓋骨の一部がへこんでいるが?
― これはしょうがない。でも特に問題はないので気にしなくて良いとのこと。

パーキンソンの薬は何で飲んでるのか?
― これはパーキンソンの人も飲むけれど、お母さんの場合は手足の動きをよくするために飲んでいる。パーキンソンの症状はない。

前回CTの写真を見たときに右前頭葉に残っていた血は消えたのか?
―それは、もうさすがに消えている。ただ出血でダメージを受けた脳は元には戻らない。
とのことだった。

おそらく、前頭葉の血が消えたせいでかなりお母さんの意識がはっきりしてきた。
ただ、出血で損傷を受けた脳は、記憶障害として残っていくのだろう。
と私なりに理解した。

今後、糖尿病のインスリンは打ち続けるのか?
―それは内科の先生に聞かないとわからない。
そりゃそうだ。

久しぶりに主治医の先生に会えてよかった。
母の状態も聞けたので安心できた。

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2006年6月 5日 (月)

老人保健施設

弟と一緒に老人保険施設の見学、説明を聞きに行く。

まだ3年ほど前にできた施設なので、とても新しくて綺麗。それだけでも早く母を移してあげたくなる。今の病院が、ボロボロなので余計にそう感じるのかもしれない。

施設では、今までのようなリハビリもやるが、それよりも日常生活を送ることができるような練習をするらしい。
例えば、朝起きたら顔を洗って歯を磨く。洋服に着替えて、朝ごはんの時間になったら食堂に行って食事をする。お風呂も自分で入って体も自分で洗う。などなど、今までベッドの上で寝ているのが中心だった病院の生活から、ベッドから離れて家での生活に近づけていく練習をするという。また、日中はお習字をしたり、歌を歌ったりなど、いろんなレクレーションのような事があるらしい。

人によってはこれはリハビリではない!と文句を言う人もいるらしい。でも私から見ると、地味なリハビリ、というかADL(障害によって困難になった日常の生活に必要な基本動作を再びできるようにするための訓練)向上を目指すには良い方法だと思った。

また施設は、痴呆の人がいる階と、脳疾患などの人の階が別れているため、患者同士がコミュニケーションを取りやすいようになっているという。また、エレベーターはロックされているので、自由に外に出ることはできない。

母のような高次脳障害の人の場合、自分は大丈夫だと思っているので、タクシーに乗って家へ帰ろうとする人もいるという。それを防ぐために出入り口はロックされているそうだ。
高次脳障害は、一見普通に見えるし、本人も自覚が薄いため危険なことも多いのだという。また危険だと感じる部分が損傷している場合も多いため、できないことをやりたがるという特徴もあるという。
なんだか会ったことも無いのに母のことを言い当てられている気がして、変な気分だった。

老健に入るには少なくとも要介護1の認定が必要になる。

  • 要支援1  日常生活の能力は基本的にあるが、入浴などに一部介助が必要。  
  • 要支援2 ・要介護1
    立ち上がりや歩行が不安定。排せつ、入浴などに一部介助が必要。
    (日常生活自立度などにより要支援2または要介護1と判定する)
  • 要介護2  立ち上がりや歩行などが自力では困難。
      排せつ、入浴などに一部または全体の介助が必要。
  • 要介護3  立ち上がりや歩行などが自力ではできない。
      排せつ、入浴、衣服の着脱などに全体の介助が必要。
  • 要介護4  排せつ、入浴、衣服の着脱など日常生活に全面的介助が必要。
  • 要介護5  意思の伝達が困難。生活全般について全面的介助が必要。

来週に区の職員が病院に来て、審査をするという。
介護認定が下りなければ、老健にも入れないし、退院したとしてもデイケアにも通えない。
一見わかりにくい障害なので心配である。
ちゃんと認定が下りるといいな。

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2006年6月 3日 (土)

母への説得(術後82日目)

母は一時退院して自信を持ってしまった。
自分はもうすぐ退院できると思っている。
かわいそうだが退院はまだ早い。
今後家ではなく老健に行く予定である事を母に説明した。

自分では元気で大丈夫と思っているだろうが、他の人から見たら危なっかしいこと。
田舎のおばちゃんが入院した後、皆が一人にするのは心配だって言っていたよね?
それと同じように私たちもお母さんから目を離すのが心配なんだよ。
 
くも膜下出血で出血したときに、頭の中に血が流れた事で脳に記憶されていた事が消えちゃったの。食事も、オムツも、歩くのも、赤ちゃんからやり直しているのに似ているよね。だから、消えた部分を思い出したり、ドリルとかいろんな訓練をして、一から作り直さなきゃいけないんだよ。
(正確には損傷したのが、その言葉はショックが大きいような気がしたので、わかりやすくなおかつショックが少ない言葉で説明する)

母は、あーなるほどという顔をして、こう言う。
「確かにリハビリで記憶の問題をやると、どうしてこんなのがわからないのかと思うような簡単な事がわからないくて、おかしくなっちゃうんだ。」
「そっか、じゃーお母さんは今何歳くらいになったんだろうねー。」と聞くと
「まだ小学校1年生くらいかもしれないねー。」と笑っていた。

私も去年盲腸で入院したから退院したい気持ちはよくわかるよ。
私たちが子供のとき、お母さんが心配してくれたように、私たちもお母さんのことが心配なんだよ。
もう70歳になるのだがら、おばあちゃんといわれる年になるのだから無理しないでくれと説得した。母は少し涙ぐんでいたが納得してくれたようだった。

そうだね。あんたたちにこれから世話になるんだからねー。
と言う。そういうこととはちょっと違うのだが、母なりに理解したのだろう。
少しかわいそうだけれど、今後のことを考えベストな選択だと信じる。

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2006年6月 2日 (金)

ソーシャルワーカー

病院のソーシャルワーカーの人と打ち合わせをした。

家族構成や、母の入院前の生活の様子、家族の職業、一日のスケジュールなど、いろいろ聞かれた。
老健ではなく、デイケアやヘルパーさんで代用できないのか?と聞かれた。

通常、家には母しかいない。まだ足元も危ないし、記憶障害もあるし、オムツもしている。もう少し老健などで過ごして、ADL(障害によって困難になった日常の生活に必要な基本動作を再びできるようにするための訓練)を向上させたいとの要望する。

老健は長くても3ヶ月しかいられない、もし母が3ヶ月たっても治らなかった場合、家で引き取る事ができるのか?ソーシャルワーカーはその事を一番気にしていた。
おそらく老健に入った後、いつまでも居座る人が多いのだろう。話の様子から、できれば病院からそのまま家に帰って欲しい。というのが本音のように思えた。

もちろん3ヶ月たって改善されなくても、かならず退院させる。
その間に、段差をなくしたり、階段に手すりをつけたり、IHクッキングヒータを入れたりする予定であることを話すと、「わかりました。」と納得してくれた。

その後、母の病室に行き、ソーシャルワーカーの人がいろいろ質問をする。
母は「退院しても大丈夫だとは思うんですけどねー。」なんて言っている。
今日はとても意識がはっきりしていて、元気だ。
なんかこんな日に限って元気なのも困り者である。

今度はリハビリの様子も見せてもらいますねー。と言っていた。
ソーシャルワーカーさんの審査は今日だけでは終わらないらしい。

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