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2006年5月31日 (水)

転院の時期

一時退院したところで、今後の身の振り方を考える時期がやってきた。
母が入院してもうすぐ3ヶ月。今入院しているのは救急病院なので、治っていても治ってなくても退院しなくてはならない時期がやってきたのだ。

ご存知の人も多いと思うが、患者が3ヶ月以上入院すると、今までと同じ額の治療費を請求できないシステムになっている。つまり3ヶ月以上同じ患者を入院させておくと病院側の経営を圧迫することになるため、3ヶ月以上たった患者に退院や転院を迫る。
これは、社会的入院の減少を促すために決められたシステムらしい。

幸い、母は元気になってきたので良かったが、もっと重症な患者さんはいっぱいいる。
くも膜下出血などの脳疾患では、命の危険が去り、病状が安定したと思ったら、もう3ヶ月だ。そんなときにもう次の病院へ行けと言われる。大きな手術をした場合、手術をしてくれた先生のいる場所で看護をして欲しい。何か起きた場合、患者の家族は何もできないのだから。
社会的入院も問題だと思うが、すべてを3ヶ月で区切るのではなく、その人の病状によって期間を考えて欲しいものだ。

さて、母の場合は少し前まで転院という道を考えていたが、予想以上に元気になってきた。医療行為もインスリンだけなので、他の病院に入院することはできないだろう。

リハビリテーション病棟という、リハビリ専門の病院がある。そこへの転院も考えていたのだが、4月の医療制度の改正で脳疾患の場合は発症後2ヶ月以内の患者しか受け入れてもらえないことになったらしい。しまった!母はもう2ヶ月過ぎてしまった。
私の情報収集はインターネットが主なため、病院側が情報を更新しない限り新しい情報が得られない。ちょっとネットを信頼しすぎてしまったかも。
しかし、2ヶ月って早すぎない?ちょっと病状が落ち着いたと思ったらもう2ヶ月だもの。
病院の3ヶ月の制限と同様に、なんでも一律にしないで欲しい。

ただ、母は麻痺がほとんどないので、リハビリの必要もそれほどなくなってきた。
母の一番の問題は、脳出血の後遺症である高次脳障害である。
特に記憶障害が大きい。
一瞬、まともに見えるだけに、難しいものがある。

幸い、今の救急病院の系列に老人健康保健施設(老健)がある。
老健は、病院から直接家に帰るにはまだ不安がある場合に、日常生活を送れるように準備をする施設と言われている。
リハビリの先生(PT)はそこで1、2ヶ月過ごしてから家に帰っては。と薦めてくれた。

なんとなく老人ホームのようでヤダナ~って敬遠していたのだが、今の母の状態を一番よくわかってくれているPTさんが薦めてくれるなら、それが良いのかもしれない。
それには、介護保険申請をして介護度を審査してもらわなくては。

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2006年5月28日 (日)

今後の課題(術後76日目)

お昼前に実家に行くと、母と父は2人仲良く居間でテレビを見ていた。
昼食を用意して、一緒に食べる。

母は一日経って慣れたせいか、一人でフラフラ歩くようになった。
どこ行くの?と聞いても、言わずにどっか行ってしまう。
後から付いていくと2階に上ろうとしている。
ダメだよ。2階に上っちゃダメ。降りてこられないでしょ。と怒っても、
大丈夫だよ。といって、上がっていってしまう。
病院の階段と違って家の階段は傾斜が急なのだ。
ハイハイをするように手も使って登っていく。
そして、やはり散らかった弟の部屋を見て。
あーあー。とため息をつく。
少し片付けたものの、やりきれないと判断したのだろう。あきらめたようだ。
階段を下りるときは、また同じように階段側に顔を向けて手と足を使って下りる。
途中で少し足を滑らせて、おっと。なんて言っている。
まったくもー、だから危ないって言ったのに。

家に帰ってきてしまうと、ダメだと言っても言う事を聞かない。
自分の家だから、すべてを把握したいのだろう。
その気持ちがわかるだけに、やはり母はまだ一人で家で過ごすことはできないと確信した。
料理もやりたいと思うだろうし、2階に上がって洗濯物を干したいと思うだろう。
まだ記憶も消えるし、足元もおぼつかないのだ。
火事が起きたり、骨折でもしたら大変なことだ。
まだまだ、退院は無理である。

あと、まだオムツも取れていない。
今はトレパンマンまで上達したようだが、うまく我慢する事ができないらしい。
したいと思ったときには、もう遅いらしいのだ。
だから、今回は2時間おきくらいに、トイレに行こうよ。と連れて行ったがそれもおもしろくないらしい。まだ出ないよ。とムッとしている。
それなのにやっぱり失敗して、トイレで取り外したオムツを台所の三角コーナーに入れていた。おいおい何でそんなところ捨てるの!
やっぱりまだ、ちょっとおかしい。

そして、最大の問題は、血糖値測定とインシュリン注射だ。
今回は、私が看護婦さんに血糖値の測定方法と注射の打ち方を習ってきた。

血糖値の測定キットがあり、そのキットにリセット用の電極を入れた後、測定用の電極をセットする。
血を採るために、指を刺す特別なキットに針をセットして、指にパチンと針を刺し血を出す。出てきた血を測定用の電極に垂らして、測定する。
測定後、インシュリンの注射機に注射液を14単位入れる。
空気が入らないように入れるのが、簡単そうに見えて、実は意外と難しい。
そして、脂肪がたくさんある部分、腕とか腹とか太ももに注射する。

これを弟に説明して、作業は弟に全部やってもらった。
退院したら、それをできるのは弟だけだからだ。
父は複雑で細かい作業はできないし、母はもちろん無理。
一緒に住んでいる弟がやるしかないのだが、毎日できるのだろうか?
弟も、うわーやだ。うわーやだ。と言いながら母の腕に針を刺していた。
私も、こういう作業は苦手だ。

食前血糖は118. 食後血糖は188だった。

退院するまでに、インシュリン注射だけは卒業して欲しい。

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2006年5月27日 (土)

一時退院(術後75日目)

先生から外泊許可が出たので、この土日に家に帰ることになった。
3時頃迎えに行くと、すでに母は洋服に着替えてベッドに座っていた。
お昼食べてからすぐに着替えたそうだ。
すっごい楽しみにしているんだね。そりゃそうだよね。家に帰りたいよね。

リハビリの先生が来てくれて、注意事項を説明してくれた。
お母さんは、右足が弱いので、杖は左についてください。
あと、倒れる場合は前に倒れるので、右側に立って一緒に歩いてあげてください。
座ってから立ち上がるときに、自分では立ち上がれませんから、手を貸してあげるか、台を用意してください。
ありがたい。こうして詳しく説明してくれると安心できる。

先生の注意にしたがって、母は杖を付き、私が右側を歩いて病院の出口まで降りた。
それでも初めて外に出るのが不安なのだろう。母はしっかり私の手を握っていた。
小雨が降っていたので、母に入り口で待つように言い、タクシーを捕まえた。
病院前だからタクシーはすぐに来る。母を呼んで一緒にタクシーに乗る。
家は近いのでワンメータで着いてしまった。

家の中に入ると、へえ~といいながら部屋中を見回す母。
そして、散らかった部屋を見て「あーあー」とため息をついている。
・・・確かに、散らかっている。
実家は、古い家でとても狭いので、片付け切れず外に出ている物が多い。
その上、母の2ヶ月間の不在の間に、散らかり放題になっていた。
私も掃除が苦手なので、うまく片付けられない。しかももう10年も前に出た家だから、何がどこにあるのかもわからない。お手上げである。

とりあえず、その辺に散乱している新聞紙を片して、お茶を入れる。
久しぶりの煎茶を飲んで「あー、おいしい」と嬉しそうにしていた。
その後、マチコおばちゃんやヒデコ姉に電話した。
「退院したんだよ~。」なんて言ってる。違うでしょ。一時退院だよ。
でも話しながら、やっとノガミに帰ってきたんだよ。って自分が生まれた場所の名前を言う。違うよ。と声をかけると、あっ、間違えた。xxxxだ。と言い直していた。
やはり、昔の記憶の方が鮮明なのだろう、同じ間違いを何回も言っていた。

その後、夕飯の支度をしていると気になるのか母も台所にやってきて、冷蔵庫を覗いている。賞味期限切れの煮豆やおしんこやソーセージなど、古い食材がいっぱいあったので、処分していると。あーあー。と残念そう。
ほらほら、あっちで座っててよ。と言っても、ここは実家の台所、母にとっては自分の城だ。気になって仕方がないらしい。
ほら、これも捨てて。これは大丈夫。と仕分けをしたり、あーあ、なんでこんなに汚れてるのに気にならないのかねー。と文句を言いながら、流しの掃除を始めようとする。
あー、もうそんなのいいから、危ないから座っててよ。

やっと、居間に戻ったと思ったら、今度はバナナを食べている。
だめだよバナナ食べちゃ。インシュリン打っているんだから間食しちゃダメなの。
薬を飲んだ後やインシュリン打った後でなければ、体内のインシュリンが働かず血糖値が上ってしまうので間食はしていはいけないという説明をする。
そうだったんだ。お昼にバナナが出たけど食べなかったから、いいと思ってさ。
なんて、記憶はできないくせに、言い訳はものすごく上手いのだ。
本当にわかってくれたのかどうか。

夕方、父と弟が帰ってきて夕飯にする。
私が作っておいた煮物とサラダ、弟が買ってきたお刺身。
母はひさしぶりのお刺身を美味しそうに食べていた。
父は母と一緒に食事ができて嬉しそうだった。

束の間の一家団欒であった。

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2006年5月23日 (火)

父の苦悩 その1

母がくも膜下出血を起した日は日曜日で、父がちょうど床屋から帰ってきたところだった。母は激しい頭痛で足をばたばたさせ、何度も吐いていたというのに、父は救急車を呼ばなかった。
救急車は呼ばないで!と母に言われたからだ。

前回、入院したときも、救急車を呼ばずに父の車で病院へ行った。
そのことを私も弟もすごく怒ったのに、今回もまた救急車を呼ばなかったのだ。
近所の目を気にしているのか何だか知らないが、どうして呼ばないのか。

実家は細い路地沿いにあるため車が入れない。
つまり、車が通れる道路まで母は父に支えられながら30mほど歩き、また病院に着いてからも駐車場から受付まで歩いてしまったのだ。

日曜日だったので、あらかじめ病院に電話をしておいたものの、救急車ではなかったせいだろう。救急とは思われず看護婦さんがなかなか来てくれなかったらしい。
「ストレッチャー持ってきます。」「車椅子持ってきます。」
と言いながらどこかへ行ってしまい、なかなか母を運んでくれなかった。
それを父はすごく怒っている。
「あの看護婦は、どうしようもないんだ。看護婦失格だ!」

それを、母のベッドの横で大声で話す。
「ちょっと、辞めてよ。ここは病院だよ。看護婦さんに聞こえるでしょ。」
「ここの看護婦の話じゃないんだから、いいんだ。」
おいおい、場所の問題じゃないだろう。
別の病院の話とはいえ、ここも病院なのに看護婦さんの悪口を言うなんて。
失礼にもほどがある。

「救急車を呼ばなかったから、そういうことになったんでしょ。」
と言っても、
「救急車を呼んだって同じなんだ。どうせ同じ病院へ行ったんだから。」
という。

これ以上言っても無駄なので責めないが、まったくあきれてしまう。

昔から父は頑固だったが年を取ってから更に頑固になってしまった。
救急車を呼んでいれば、後遺症ももっと軽かったかもしれない。
今回はくも膜下出血。
動かしたせいで頭の損傷が大きくなってしまったのに、それも理解できないらしい。

そういえば、母が手術する前に先生からの説明を受けたときも、なぜか「入院のしおり」を読み続けていた父。そこには、入院に必要なスプーン、パジャマ、タオル、の説明が掲載されていた。そんなの今読んでる場合じゃないんだよ。とあきれていたが、今から思えば、頭の手術なんて複雑な話をされて、先生の説明を消化し切れなかったのだろう。危険を伴う手術だったので、向き合う事が怖かったに違いない。

近所の目を気にして、救急車を呼ばない。
病状を説明されても、複雑すぎて理解できない。
重大な事に向き合えない。
指摘されても、プライドが邪魔して言う事を聞けない。

弟が同居しているとはいえ、母と一緒にいる時間が一番長いのは父なのだ。
もうちょっと、しっかりしてもらわないと。
母が退院したとしても、問題が山積みである。
あー、いったいこの先どうなることやら。
やれやれ。

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2006年5月21日 (日)

見舞客9人(術後69日目)

今日は、いとこのヒデコ姉とヒロミ姉が見舞いに来るというので、3時ごろに病院へ。

母の病室に行くと、なんだか人がたくさんいる。
なんでこんなに見舞い客が!!!
ヒデコ姉とヒロミ姉が母のベッドに座り、娘のマサミとヨーコちゃんがベッドの間の通路に立ち、更にいとこのトール兄と奥さんが椅子に座っていた。
総勢6人が母のベッドの周りを問い囲んでいた。
他の人が見たら「いったい何が起きたんだ?」ってビックリするに違いない。
やれやれ。

母は兄弟が多いので、当然甥っ子や姪っ子も多い。
昔から母の田舎へ行くと、多くの人が出たり入ったりして、にぎやかだった。
たくさんの人の中で育った母は、お客さんを呼ぶのが大好き。だから病室でも、たくさんの親戚に囲まれているのは、とても嬉しいようだ。

でも、周りの患者さんの迷惑にならかと気が気でない。
いくら他の患者さんの意識レベルが低いとはいえ、母のまわりだけ妙ににぎやかなのって、どうよ? ここは病院だよ。

1階の待合室に連れて行こうかと考えたが、待合室で長時間話ができるほど母が回復しているとは思えない。かといって、遠くから来てくれたのに、早く帰れとも言えない。
それに、母もすっごい喜んでる。
お見舞いに来てくれるのは刺激にもなるし、とてもありがたいのだが、できれば少人数で来て欲しかった。
全然、解決策になってないけど、とりあえず私だけでも廊下に出ていた。

私が来る少し前には近所の人が2人来たそうだ。
マサミが気を利かせて、お茶を買ってきてあげたという。
そして、さらに1時間後くらいにまた近所の人が一人、ご来店~。
見舞い客の多さにひるんだのか、いや遠慮したんだろう。
私と母と15分くらい話すと、そそくさと引き上げてしまった。

日曜日でも、誰も来ない日はいっぱいあったのに、なぜ今日に限ってこんなに見舞い客が多いのだろう。
見舞い予約システムでも作っておけばよかった・・・。
と、実現できそうにないことまで考えてしまう。

来週、母が一時退院できることになったので、父はトイレや風呂の手すりをつけていた。
病院へ行こうか?と父から電話が入ったが、これ以上人が増えるのも嫌だったので、大丈夫だから来なくて良いと返事をした。
でも、今になって考えると、お見舞いをもらったのに父が挨拶にも現れなくて、失礼なことをしたなー。と思ったり。

まあ、そんなこんなで気疲れし、座る椅子もなく立ちっぱなしで、なんだかものすごーく疲れてしまった。

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2006年5月20日 (土)

理解力(術後68日目)

4時頃病院へ行こうと、駅を降りたら突然の雨。
まるで台風のような激しい雨のなかをテクテク病院まで歩いた。

病院へ着くと、今までの病室に母がいない。
看護婦さんに聞くと、部屋を移動したとのこと。
今度は同じ階のリハビリ室に近い6人部屋だった。
また、狭くて暗い部屋になってしまった。
まあ、この古い病院ではどの病室も似たようなものだけど。

3人部屋で隣にいたおばあちゃんも同じ部屋に移動になっていた。
もう一人の元気でうるさい99歳のおばあちゃんは退院したそうだ。
今度の病室では、母が一番元気。
他の人達は意識のレベルが低く、母以外は食事ができないみたい。

マチコおばちゃんから手紙の返事が届いていた。
それを声を出して読んで聞かせてくれた。
自分で全部読むことができた。すごいぞ。

所々、こみ上げてくるものがあるのか、声を詰まらせながら読んでいた。
マチコおばちゃんもお母さんの手紙を見て涙が出たと書いてあった。
母は兄弟が多いが、とくに妹のマチコおばちゃんとは仲良し。
年を取っても仲良くできる姉妹がいるって、いいなあ。
ちょっと、うらやましくなっちゃった。

母は未だに、自分の病気が脳梗塞だと思っている。
そこで今日は、くも膜下出血の詳しい話をノートに絵を書きながら説明した。
頭の血管に動脈瘤があったこと。
それが切れて出血し意識を失ったこと。
頭を開いてクリップで止める手術をしたこと。
出血が少なかったからこうして回復できていること。
とても運がよかったこと。などなど。
やっと理解してくれたようだった。
頭の中にクリップが入っているんだよ。
と言うとビックリした顔をして頭をしきりに擦っていた。

その後、リハビリの様子を聞いた。
4人いるリハビリの先生の名前を聞いたが、全部は答えられなかったので次回の宿題にした。
足のリハビリでは、実際の階段を使って上り下りをしているらしい。
手のリハビリでは、風船バレーや、トイレの練習のほかに、洗濯の練習をしているとのこと。
「洗濯バサミではさむの。」とジェスチャーを入れながら説明する母。
そして、手で四角い形を作って。
「こういうの。何だっけ? こんなの。何だっけ?」
一生懸命、手で四角い形を作るが、言葉が出てこない。
絵に描いてみなよ。といって、ノートを渡す。
すると、尖ったりんごのような形を描き、次にりんごの逆さまのような形を描き、。。。。
「・・・あっ、トランプ?」 尖ったりんごはスペードの形だった。
「そうそう、トランプ。トランプを洗濯バサミではさんで練習してるんだよ。」
やっと、思い出してほっとしている様子。
手紙に書いてある文字はスラスラ読めても、文字になっていない単語は、思い出すのが大変なんだなー。

言葉のリハビリでは簡単な計算問題もやっているとのこと。
「あと、絵が描いてあって、すごく簡単な問題なんだけど、わからなんだよ。おかしいんだよねー。」
簡単な問題ができないから、自分はまだおかしいいと認識できている。
先週も昼ごはんの記憶がないことをおかしいと言っていた。
自分がまだ普通の状態に戻っていない事が、わかってきているようだ。
自分の状態を理解できるってことは、回復してきていると思って良いのではないだろうか。

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2006年5月17日 (水)

客観的な評価

家にいとこのトンちゃんから以下のようなファックスが入っていた。
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昨日、おばちゃんに会いに行ってきました。
思った以上に回復していて、びっくりしました。
何と言っても、窓際にいるおばあちゃんの面倒を見ていることがすごかったです。以前と変わらずお世話係をしていました!!

会話も成り立ち、又前かがみと言いつつ少し歩けていました。
とても安心しました。ただ病院内と外は全然違うので外に出たときは心配です(これは若くして入院した人の話を総合しても退院後、外を歩くのは大変との事です)

それと同時に機能、母の所に手紙が届きました。
とてもとても喜んでいました。ありがとうございました!!

あせらず少しずつ少しずつ回復していければと思います。
又、会いに行きます。 お体に気をつけて。
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トンちゃんは介護の仕事をしているので、いろいろアドバイスをしてくれる。
トンちゃんのような介護のプロから客観的な評価をしてもらえると、安心できる。家族だと、どうしても贔屓目に見てしまうから。
今回、母のことでは本当に頼りにさせてもらっている貴重な存在だ。

その上、忙しいのに病院にも顔を出してくれる。
こうしてFAXで報告までしてくれて、本当にどうもありがとう。
母は幸せ者だわ。

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2006年5月15日 (月)

オセロ(術後62日目)

そういえば、日曜日にはオセロもやった。

最初は気乗りしないようだったが、「せっかく買ってきたんだから」と言いながらオセロゲームをテーブルの上に乗せ、白と黒の石を設置する。
見ているうちにやる気になったようで「私は黒がいい」と言い出した。

ちょうど看護婦さんが血糖値を測りに来て「あら、オセロやるんだー。」と声をかけてくれた。「やるのは10年ぶりくらいかな」と答える母。
「じゃあ、がんばって勝ってね」と看護婦さんから応援を受け、母はなんだか楽しそうだ。

いざ、始めてみると母はルールを忘れていた。
「お母さんは黒だから、白の石をはさむようにこうやって置くんだよ。」
実際に黒の石を置いて、白の石をひっくり返して黒にする。
「こうやって、自分の色に変えることができるから」

どうにか理解できたらしく、自分の順番になると真剣になって考えている。
やっと黒の石をはさめる場所を探し、石を置き、白をひっくり返す事ができた。
そうそう、その調子。

私も自分に有利にゲームをすすめないよう注意をしながら石を置く。
母のやる気を損なわないようにするのも難しい。
母は意外と負けず嫌いなので、そこそこに負けてあげなければいけないのだ。

だんだん石が増えてくると、母の考える時間も長くなる。
考えているうちに、間違えて「白」を置いたりする。
「お母さんは「黒」だよ。」と注意すると、あーそうだった言って笑う。
それが何回もあった。
やはり、ゲームをやっているうちに、忘れてしまうのだろうか。

結局、最後まで終わらないうちに夕飯の時間になってしまった。
ポケットサイズのオセロだったので、石をひっくり返すのが大変なようだったが、かえって手の運動になって良かったかもしれない。
何より、ゲームをするために考えるというのは、頭の良い訓練になったと思う。

この日は、外の見学から始まって、手紙を書いたり、オセロをしたりと、盛りだくさんな一日だった。
母の今後のためには、良い母の日になったと思う。

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2006年5月14日 (日)

手紙を書く(術後62日目)

Hana 今日は、母の日。
奮発してカーネーションの花束を持っていった。
また母と一緒に、ハサミを使って花を切り、活けた。
花の量の割にはカゴが小さいのか、少しバランス悪いけど綺麗!
それに、とても喜んでくれたのでよかった。

母の髪は、開頭手術でおでこの前の髪の毛だけが短くなっていて、山姥みたいなすごいヘアスタイルになっている。病人とはいえ、ちょっとかわいそうなので帽子を持ってきてあげた。すっごい似合う、というわけではなかったが、かぶらないより良いみたい。

今日は、車椅子に乗って初めて病院の外に出てみた。
といっても病院の正面玄関を出たところまで。
病院の前は交通量の多い道路だ。
そこは、母もよく知っているはずの場所なんだけど思い出せない様子。
ほら、この道を右にずっと行くと駅だよ。左に行くと郵便局だよ。
などと説明するがピンと来ない様子。
少し先に材木屋の看板が見えた。あれは、父が昔よく使っていた材木屋だ。
「ほら、あそこの道を入ると板橋木材さんだよ。その隣が私の高校の同級生のタテ子の家だよ。」と言うと、あー、という顔をする。やっとわかったみたい。

確かに病院の周りは昔から思うと、かなり変わってしまっている。
この辺に来る用事もないので、わかりずらいかもしれない。
イマイチ実感がわかない様子。
でも、外の世界にはかなり興味津々のよう。
車椅子での短い冒険は楽しかったらしく、しばらく病室に戻りたくなさそうだった。

その後、病室に戻り「塗り絵」をやろうと薦めたが、「ヤダ!」と言う。
やはり、絵はあまり好きではないらしい。それを予想して絵はがきを持ってきた。
リハビリで字を書いているというので、手紙にトライさせよう思ったからだ。

まず、母の妹のマチコおばちゃんの住所を書かせた。
私が書いてきた住所を見ながら、ちゃんと書き映している。
文面は下書したら?と言ったが、直接書き始めた。

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先日は遠い所、来てくれて有りがとうございました。
お体のぐあいはいかがですか?
私もリハビリをがんばってます。
元気になったら伊豆に行きましょう。
- - - - - - - - - -  - - - - - - - - - 

先日は遠いところ来てくれて・・・と声を出しながら、一字ずつしっかりと書いている。
本当は来てくれたの覚えてないけど、なんて言って笑いながら書いている。
書きながら、えーっと、何だっけ?と言ったりするので、少し手助けをしたが、ほとんど自分で考え、漢字も思い出し、しっかりした字で書いていた。
お母さん。こんなに書けるようになったんだ! 
なんか、飛躍的に回復してるんじゃない?
こんなに書けるとは思ってなかった。
すごいよ、お母さん。ちょっと感動しちゃった!

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2006年5月13日 (土)

折り鶴(術後61日目)

昼間、溜池で友達とランチをした後、病院へ向かったので既に夕方になっていた。

母は私の姿を見て、「これから行くの?」と言う。
あのー、もう夕方なんですけど~。
母も時計を見て「あー、夕方なんだ。」という。

寝ていると、朝か夜かわからなくなってしまう。
朝ごはんも昼ごはんも食べたかどうか覚えていないらしい。
短期記憶はまだまだ回復しないようだ。

「食べてないはずはないんだけど、覚えていなんいんだよねー。
おかしんだよ。」
自分でも記憶がないことを不思議がる様子。
認知症の場合などは、忘れている事も認識できないらしいので、自分で忘れている事がわかっているだけでも、良しとしよう。

その後、いきなり意を決したように母はこう言った。
「ねえ、野上のタケオさんは生きてるの?死んでるの?」
タケオさんとは、母の兄弟で一番上のお兄さんである。
これは余談だが、兄弟の長男がタケオ、次男がツギオという名前だ。昔は兄弟が多いからなのか、ずいぶん手抜きをした名前である。
で、そのタケオおじちゃんは3年ほど前に、すでに亡くなっている。

「やだ、お母さん。おじちゃんは3年前に死んじゃったよ。」
と言うと、しきりに首をかしげる。
「うーん、よく覚えてないんだよねー。お葬式は家でやったの?」
自分なりに記憶の手がかり探そうとしているようだ。
「そうだよ。家でお葬式やって、その後みんなで火葬場へ行ったんだよ。ほら、火葬場でヒロがお腹が空いていて、他の人のお弁当を食べまくってたじゃん。」
35歳にもなる従兄弟が他の人の弁当を食べまくる姿は、親戚の中ではかなり印象的な出来事だったのだ。

すると、あ?という顔をしたので、思い出したか!と思ったが
「あれは、おじいちゃんの葬式じゃないの?」
なんて言う。
は? おじいちゃんって、私が1歳くらいのときに死んでるんだよー。
もう40年も前の話じゃん! 
そう言っても、ふーん。と言う感じ。
昔の記憶がはっきりしているときもあれば、今の記憶の方がはっきりしていることもある。なんだか不思議だが、とにかく記憶障害があるのは間違いない。

その後、一緒に鶴を折った。
だいたいの折り方は覚えている様子。
鶴の尻尾と口に当たる部分など、先を尖らせて折らなければならない所などは、老眼のせいなのか手がそこまで細かい作業ができないせいなのか、うまくできなかった。
でも、一応鶴の形にはなったので、無事完成!!

一つずつでも出来ることが増えてくると、とても嬉しいね。

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2006年5月 7日 (日)

トイレへ(術後55日目)

急に「トイレに行く。」と言ってベッドから出ようとする母。
え?勝手に行っていいの?
一応、看護婦さんを呼ぶと、家族が付いていればトイレに行ってかまいませんよ。
お母さんは、自分で歩けるから大丈夫だけど、転んだりするといけないから念のため付いていってください。とのことだった。

杖をついて、ひょこひょこトイレまで歩いていく母について行く。
トイレは病室の目の前にあるので、すぐだ。
少しふらついているが、どうにかトイレにも座れるようだ。
まだオムツをしているので、オムツを取り外すとその中に便が入っている。
え? トイレで用を足したいから来たんじゃないの?
オムツを取り替えるために来たのだろうか?

よくわからないが、とりあえずトイレのドアを閉めてあげる。
「出てくるとき呼んでね。」と声をかける。
しばらくして、母はオムツを手に持ってトイレから出てきた。
キョロキョロしてオムツを捨てる場所さがしているようだ。
オムツの事が気になったのか、杖をトイレの中においてきてしまった母。

「あれ?お母さん。杖がなくても歩けるじゃん。」
と言うと、母も あれ? って顔をして驚いている。
オムツの処理で頭が一杯で、足のことは忘れてしまったようだ。
その後も、とりあえずオムツをおいて、手を洗い、そのあと杖を持った。

やらなければならない事があれば、無意識のうちに動けるのだ。
病気だから危ないからと用心しすぎると、できることもできなくなる恐れがある。
転倒などの注意は必要だが、あまり甘やかさない方が母のためには良いかもしれない。

その後、病室に戻ると、看護婦さんを呼んでまたオムツをしてもらっていた。
オナラをすると、便が出てしまうことがあるらしい。
まだ、そのあたりのコントロールができないようだ。
でも、オムツが取れてくれないと、一時退院もできない。
まずは、一人でトイレに行けるようになることが目標だ。
がんばれ!

その後、病室で母に「何の病気で入院しているか知ってる?」と聞くと
「うん、脳梗塞」と言う。
以前、一度脳梗塞で入院した事があるので、その延長だと思っているのだろう。
「お母さんは、くも膜下出血だったんだよ。」と言うと
不思議そうな顔をする。
「この病気は、40歳くらの若い人でもなる病気なんだって。お母さんと同じように、今日やったことを忘れてりする人も多いから、それを治すために、いろんな練習やドリルとかリハビリをして社会復帰するんだよ。」
母にもわかるよう簡単な言葉で説明したのだが
「そういう人は大変ねー。嫌だねー。」なーんて、まるでひとごと。
自分がそうだとはまだ理解できないらしい。

明日からまたリハビリが始まる。
「リハビリのお迎えが来たら、ちゃんと運動靴を履いていくんだよ。」
と何度も説明する。
「足のリハビリの先生には、腰が痛いってちゃんと言うんだよ。」
と言うと、「すべり症です」と自分の病名を答える母。
「これくらい言えなくちゃね。」なんて、余裕があるような答え方をする。
まったく、母はどこまでわかっているのか、わかっていないのか、
だんだん、こっちがよくわからなくなってくる。

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2006年5月 5日 (金)

塗り絵(術後53日目)

連休中はリハビリがない。
その間、寝てばかりでは意識がまたボケてしまいそう。
そう思い、「大人の塗り絵」を買った。

Nuri 絵心のない人でも、下絵にそって色を塗れば綺麗な絵に仕上がる。
簡単なのに本格的なところが魅力なのか、よく売れているらしい。
本屋の書棚では1段分すべて塗り絵だった。

病院に持っていくと、なんとすでにクレパス付きの塗り絵セットが置いてあった。
弟が買ってきたらしい。
うわー偶然。兄弟って考える事が似てるのかな。
弟もいろいろ考えてるんだなー。としみじみ思う。
でも、違う種類の塗り絵だったので、重ならなくて良かった。

さっそく母に塗り絵やろう!と言ったが
「今日はやらない。」と言う。
昨日も、弟に塗り絵をやろうと言われたがやらなかったという。
そのせいか、弟は自分で塗り絵を1枚仕上げていた。
綺麗に塗られた絵が飾ってあった。

「頑としてやらないんだ。」なんて、なぜかとても頑固な母。
「最近、塗り絵はやってるんだってよー。」と、言うと
「ボケたりする人が多いからね。」と言う母。
ははーん。
どうやら塗り絵なんてボケ老人のやることだと思って、拒否しているようだ。

「塗り絵はボケの人じゃなくて、普通の大人の人が趣味でやるんだよ。
塗り絵で絵を練習して、絵葉書や絵手紙を出すのが流行ってるんだって。」
ボケの人用でなく、趣味だということを強調すると
少し興味を持ったようで「へえー、そうなの。」と言い、
やっと塗り絵の本を手に取った。

その後、弟も病院にやってきた。さっそく塗り絵の話をする。
この「大人の塗り絵」は累計で70万部も売れてるんだってさー。
へー、すごいねー。これなら上手く書けると思ってみんな買うんだねー。
おもしろそうだもんね。 絵葉書にもなるしねー。

なんて、大げさに塗り絵に感心するふりをしながら話しをしてから
「書いてみる?」と母に聞くと「うん。」と言う。
やった~。やっとその気になってくれた。
やる気をださせるのも大変だ。

Nuri2 もともと母は絵心があるわけではない。
しかも、老眼もあるので下絵が良く見えないときてる。
仕上がった塗り絵は、お世辞にも上手ではなかったが
「なかなか良いじゃ~ん!」と言って褒めまくる。
塗り絵は2冊もあるのだ。どんどん塗ってもらわないと!

この「大人の塗り絵」は脳の活性化にも良いということで、人気があるらしい。
花の絵以外にも、色々な種類があるので好みに合わせて選ぶ事もできる。
自分でやっても楽しめそうな感じ。

Nuri3 すみれの絵が仕上がったので、絵の下に「すみれ」って書いてみよう!
そう言って、母に字を書かせた。
最初に書いた字が、「すみれ」の「す」に見えなかった。
ああああ、まずい!
まだ字は書けなかったのか・・・。あせった。
でも良く見たら「スミレ」とカタカナで書いていた。
あ~、よかった。
カタカナは書けるんだね。 ほっとした。


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2006年5月 3日 (水)

記憶の不思議(術後51日目)

Hibiya 病院へ行くと、ちょうどマサミが来てくれていた。
日比谷花壇のお花を持ってきてくれた。
とても素敵・・・。
母も嬉しそうだ。

マサミは母があまり話さないので、話すことがなくて困っていたという。
今までは、おしゃべりな母がずっと話しているので、相槌を打つだけで会話が成立していたのに、今の母は話しかけなければあまり話さない。

廊下で男の人の声が聞こえた。
「てっちゃんがいるような気がする」という。
てっちゃんとは、母のお兄さんで栃木に住んでいる。
「ここには、いないと思うよ。」と答えると
「せがれがこっちにいるから、その辺に来てるんじゃない?」
なんてトンチンカンなことを言う。てっちゃんに息子はいないのだが・・・・。
今日は祝日なので、リハビリもなくずっと寝ていたらしい。
寝ている時間が長いと、ボケっぽくなる気がする。

最近、北海道のことをよく言う。
今日マサミは北海道から来たの?なんてトンチンカンなことを言う。
「なぜ北海道?」とマサミも笑う。マサミは練馬から電車で来たんだけど。
しばらくすると自分でも、変なことを言っているとわかるようで、夢と現実がごっちゃになっているみたいと言う。混乱している事が自分でわかるだけ進歩している気がする。
でも、お昼に関しては、また食べたかどうかわからないとマサミにも言ったそうだ。
なぜか、お昼ごはんの記憶はいつもない。

でも、おととし一緒に十和田湖へ旅行へ行ったときの記憶ははっきりとあるようだ。
バスガイドさんが、「こんなに天気が良い日は、30年間ガイドをしていて初めてですよ。」と言っていたことまで覚えていた。印象深い事は、覚えているのだろう。

そういう私も、母が「すべり症」だったことをすっかり忘れていた。
母はすべり症のせいで、腰が痛く、最近は腰を曲げないと歩けなかったのだ。
おとといリハビリを見学したとき、STさんに「もっと腰を伸ばして歩いて。」と母が言われているのを見ていたのに、気づかなかった。
1日たってから、そういえばお母さんは「すべり症」だったんだ。
腰をまげて歩くのは、出血やずっと寝ていたせいだけではなく、すべり症の影響もあるに違いない。そのことをすっかり忘れていた。
私ったら、なんで忘れてちゃったんだろう。

健康な人でも、大事な事なのにコロッと忘れてしまうことってある。
たいしたことないのに、ずっと覚えていることもある。
記憶のメカニズムって不思議だ。

実家からリハビリ用にスニーカーを持ってきた。
ベッドの下に置いたが、来週までリハビリはないらしい。
「お母さんすべり症だった事覚えてる?」と聞くが首を振っていた。
やはり忘れているらしい。

帰り際、マサミに何かおいしいものでもごちそうしてあげたら。
と言う母。その辺の気遣いは、昔の母と変わらない。
母らしい言葉が聴けて少し安心する。
マサミはこれから渋谷へ出かけると言うので、お茶だけごちそうした。
連休中なのに、わざわざ来てくれてありがとう。

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2006年5月 2日 (火)

生け花(術後50日目)

家に咲いていたコデマリを病室に飾っていたが、家から持っていく花は何故かすぐに枯れれてしまう。
今回は、花屋さんで切花を買って、活けることにした。

以前、入院していたときに頂いた花のかごと、オアシスを使って活けることに。
いつも病室の花に水を上げたり、枯葉を取ったりしていると
「そこも切っちゃって。それはもう少し短く」なんて花にはとても興味がある母。

Ikeそこで今回は自分で花を生けてみたら?と言って、やらせてみた。
最初は、母の指示に従い私がはさみで茎を切っていたが、そのうち面倒になったのか、自分でハサミを使って花を切り、活けていた。ハサミも上手に使っている。
手の力は、まったく問題がないように見える。
ただ、オアシスに花をさす時の微妙な力加減が、まだ難しいようだ。
でも、上出来である。

食事も、今までスプーンとフォークだったが、なんだかフォークが食べずらそう。「箸で食べる?」と聞くと、「うん。」と答えるので、箸を持ってきた。
フォークよりも箸の方が上手に扱えるようだ。
なんだ。こんなことならもっと早く箸を持ってくればよかった。

食事は、まだ意識がはっきりしない頃から開始していたので、手の力はかなり戻っているようだ。やはり早いうちのリハビリは大切な気がする。

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2006年5月 1日 (月)

リハビリ見学(術後49日目)

今日は初めてリハビリを見学した。

まず足のリハビリでは、理学療法士(PT)さんが足をマッサージ。
PTさんの頭をじっと見ながら、マッサージを受ける母。
白髪を見つけて、嬉しそうに毛を抜くしぐさをしてイタズラをする母。
PTさんも気づき「最近、白髪増えちゃって。僕、何歳に見えますか?」
と母に聞く。
少し考えて「うちのせがれよりも若いかな」と言う。
「息子さんは何歳ですか?」と聞かれると「30歳。」という。本当は33歳だ。
PTさんは「僕は35歳なんですよ。」と言うが、とても若く見える。

マッサージが終わると、自分で杖をつきながら廊下を歩く練習だ。
後ろでPTさんが付いて、ちょっとふらつくと支えてくれる。
ゆっくりだけど、ふらついたりするけど、足を踏み出して歩いている!!
すごいじゃん。お母さん。

10m位歩くと、廊下の行き止まりになり、そこに置いてある椅子で一休み。
STさんが脈を測る。
そして、またこちらに向かって歩いてくる。車椅子に座って一休み。
次は、廊下の行き止まりで休まずに、廊下を往復して歩くことができた。
すごい。

STさんによると、最初は立っただけで気持ち悪いと言って帰ったそうだ。
だんだん歩く距離が伸びてきたね。
前回はもっと脈も速かったけど、だんだん体がしっかりしてきたね。という。

そして、次は踏み台を使った訓練。
ちょうど階段一段位の高さの踏み台が、平行棒の間に間隔をあけて置かれている。
平行棒を支えに踏み台を上がたり降りたりして、前に進んでいく練習だ。
今度は、手で体を支えられるため、さきほどより足をしっかり踏みしめている。
手の力は強いようだ。
「左で上って、右で下りて。今度は右で上がって左で下りて。」
左右の区別もつくようで、指示通りに足を上げて進んでいた。

思ったより足が動く事にびっくりしてしまった。
これは意外と歩けるようになるのは早いかもしれない。
嬉しい誤算である。

この後、すぐに作業療法士さん(OT)の所へ移動。
まず、おもり付の棒を上げ下げする腕の体操。ちょっと重そうだ。
風船でトスを100回。 これは楽しそう。
腰を使って、わなげを入れる練習。 腰がふらふらしている。

そして、ゴムをつかったトイレ訓練。
ウエストと同じサイズくらいのゴムを頭からかぶり、ウエストの位置で止める。
それをパンツのゴムと想定して、中腰になりながらひざまで下ろす練習だ。
これが、以外に難しいようだ。
腰がふらついているせいで、ひざまでゴムを下ろすことができないのだ。
それじゃ、ぬれちゃうよ。とOTさんに言われるが、
トイレを想定しているという状況が理解できていない様子。

そこで、実際にトイレに行って、練習をした。
トイレに座らせようとすると、勢いよくオシリを便器に落とす。
どうやら腰に力が入らないようで、そっと座るということができない。
トイレで立ったり、座ったり、オシリを拭いたりする動作で思ったより腰の力を使うことがよくわかった。なるほど、あの腰の感じでは、まだ自信がもてないのもうなずける。

どう、出そう?とOTさんに言われるが、「よくわからない。」と言う母。
結局、トイレに座ったけど、用は足さなかったようだ。
「自分でトイレ行きたくならない? オムツ気持ち悪くない?」
とOTさんに聞かれると「ここに来てからずっとこれだから慣れた」という母。
「一時退院はできないの?」と聞かれると「許可が下りないの。」なんて言ってる。
そんなこと聞いたこともないのに。

明日から時間をきめて療法士さんがトイレに連れて行くとのこと。
慣れたら、オムツからトレーニングパンツに移行するらしい。
まるで、赤ん坊と同じだな。

言葉のリハビリでは、発音練習のようなことをしているようだ。
もうひとつは、「頭の訓練」と母は言っている。
それはカードを見て、その名称を答える練習らしい。
これはもう終了だと言われたという。
次はもう少しステップアップするのだろう。
何をやるのかな?? そういう内容って家族には教えてくれないのかな?
看護婦さんに聞いても、「先生はなんていってますか?」と質問を質問で返される。
明確な答えは返ってこない。いったい誰に聞けばよいのやら。

部屋に戻るど、さすがに疲れた様子の母。
今日は、母にとっては過密スケジュールの日だったようだ。
「朝から風呂入って、言葉のリハビリ、足のリハビリ、手のリハビリで忙しいね。」
と言うと、昼も食べてないと言う。
それは、ウソだ。
母は、昼を食べていない―と言うことがよくある。
そのへんの記憶に関しては、まだまだ曖昧だ。

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