2006年8月17日 (木)

退院(術後156日目)

予定では、2日前の15日に退院するはずだった。
ところが、内科の先生が血糖値を下げるために、ちょっと前から食事のカロリーを落としたとの事でもう少し様子をみたいと言い出した。
そのため、退院が2日先に伸びてしまったのだ。
仕方ないといえば、仕方が無いのだが、楽しみにしていた母がちょっとかわいそうだった。
父もこの日のために休みを取ったのに。とかなりご立腹の様子だった。

というわけで今日は、父は仕事になってしまい、私が迎えに行く事に。
お盆すぎなので夫もお客さんが休みだったりして時間があるとのことで
台風で雨も降っているからと車で一緒に病院へ行ってくれた。

昼を食べてから1時頃に迎えにいくといっていたのに、
母は勝手に昼食を断ってしまった。
11時頃に行ったらすっかり帰り支度をして待っていた。
やれやれ。
急いで、ナースステーションでインスリンなどの薬と、外来の予約表をもらった。
母を連れて、先生や看護婦さんたちに挨拶をして、車で家へ帰った。

本当に長かった入院生活。
でも、母がどうにか歩けて、話もできて、こうして家へ帰れることに感謝している。
お世話になった先生方、看護婦さん、ヘルパーさん、なにかと励ましてくれた親戚や夫。
本当にどうもありがとう。

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2006年7月16日 (日)

美容院(術後124日目)

日曜日に近所の美容院へ行ったそうだ。
行きは父に連れて行ってもらい、帰りは美容室の人が近くまで送ってくれたという。
開頭手術のせいで、母の髪の毛はおでこの上だけが短くなっていて、はっきりいって変な髪形だった。
美容院へ行きたいとずっと言っていたので、綺麗にしてもらってよかったね。

ところが、よかったね。だけでは終わらなかった。
1万円を持っていったのに、家に戻ったときには500円しかお釣りがなかったそうだ。
母は6千円をポケットに入れたはずだと言っているが、実際にはポケットには何も入っていなかった。小銭の500円だけを子供のように手に握り締めて帰ってきたという。
父があわてて、来た道を戻り探してみたが、なかったという。

その話を弟から聞いたのだが、父はそれを母に問い詰めるなと言っているそうだ。
お母さんがかわいそうだから、という理由らしいが、何言ってんだろ?
お金を無くした事は、過ぎたことだからしかたがない。
問題は、忘れる事を母自身に自覚させなきゃいけないのだ。

何だか父は、母が失敗するとごまかそうとしたりする。
そして、病気になる以前の母にもどるものだと信じている。
母は決して元に戻る事はないし、病気がなくても人間は老いていくのだ。
それを認めようとしない。
言ってもわからないのだ。

だから、わざとはしごに上らせたり、ご飯をいっぱい食べさせようとしたりする。

なぜはしごに登ってはいけないのか、なぜご飯をたくさん食べてはいけないのか。
母は説明すれば、そのときは納得してくれる。
でも、健康な父のほうが、わかってくれないのだ。

これから、ますます年を取ったらどうなっていくのだろう。
先が思いやられる。

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2006年7月15日 (土)

老健への準備(術後123日目)

この3連休、また外泊した。
そろそろ来週あたりから老人保健施設に移動するかもしれない。
そう思い、パジャマや着替えを用意した。

病室に同じ老健から来た人がいるそうだ。
「あそこはよくない。意地の悪い人ばかりだ」という話を聞いて、母はちょっといくのが嫌になっているようだ。

しかも、お父さんまで床屋さんで、評判が悪いんだよという話を聞いてきた。
施設に入って、余計悪くなったというような話だ。
たしかに高齢でボケが進んで入った場合には、余計に悪化するという話はよくある。
それは特定の施設のせいで悪化するわけではなく、施設そのものの性質にあるような気がする。

母の場合は認知症で入所するわけではないのだから、本人のやる気次第で結果はよくもなり悪くもなるのだろ。それは母次第だ。病院や施設の印象は個人によって違うもの。
母は、ぼけて入るわけではなく、リハビリのため、体力くをつけるために入所するのだ。
自分から積極的にリハビリを行えば、よいだけだ。

風呂に入るのを見守っていたが、先々週に比べ、足の筋肉も増えている気がした。
病院では、一人で階段の上り下りなどをしているんだといっている。
徐々に足元もしかかりしてきたようだ。
ところが、お湯を出しっぱなしで、風呂から出ようとする。

やはり、物忘れが一番大変な問題だ。

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2006年7月14日 (金)

カレーライス(術後122日目)

水曜日、病院のリハビリで買い物に行ったそうだ。
病院から徒歩3分くらいのところにスーパーがあり、そこまで、リハビリの先生と一緒に歩いていき、買い物た。あらかじめ用意しておいたリュックサックに買った材料を詰めて帰ってきたという。

そして、金曜日。
そのとき買った材料を使ってカレーライスを作ったという。
母はそのときのことをとっても嬉しそうに、少し興奮気味に話してくれた。

自分のやり方で作っていいって言われたからね。
じゃがいもと、たまねぎと、にんじんと、お肉と、
適当に切って、炒めて、煮込んでね。
それでね、最後にカレールーで調整したの。
少しなら味見しても良いって先生から許可が出たから、少ーしだけ味を見て調整したんだよ。

自己流の味ですからおいしいかどうかわかりませんけど、食べてください。
って言ってリハビリの先生たちに、食べてもらったんだよ。
そうしたら、先生たちがね次々に病室に来てくれて
「おいしかったよー。お母さんのカレーの味だったよ。」って、お礼を言ってくれてね。
一人の先生なんか楽しみにしていたのに、気が付いたらもう残ってなかったんだよー。
って残念がってたんだ。

母はとても嬉しそうだった。
教えられなくても自分でちゃんと料理が作れた事。
自分の作った料理をみんなが喜んで食べてくれた事。
きっと、自信がもてたに違いない。

しかも、人の世話をしたりして感謝されるのは、母にとっては一番嬉しいこと。
いろんなリハビリをやってくれるんだなー。
リハビリの先生たちには、日々感謝の気持ちでいっぱいだ。

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2006年7月 9日 (日)

日記と塗り絵(術後118日目)

病院で母と一緒に日記をつける。
病院で一日分だけつけてあったが、私が言わないと自分からはやらないようだ。
やったことを忘れてちゃうから、何を書いていいかわからない。と言う。

忘れてもいいんだよ。覚えていることだけを書けばよいんだ。
正しく書くことが目的じゃなくて、今日あったこと何でもいいから書くことが大切。
書くことで脳が活性化され、日記に書くから覚えていようと意識が働く。
それが大事だと説明する。

母は生真面目で、正しい事が好きな人、つまり間違えたくない人なのだ。
だからきちんと書けなければ、意味がないと思ってしまうのだろう。
塗り絵にしても上手く描けないから嫌だという。
「こんな下手じゃ、だめだよ。」と自分の塗った絵を批判する。
母は絵心が無いので、元気な時だってうまくは描けなかったはずだ。

うまく書くことが目的じゃなくて、絵を描いたり色をつけたりすることで右脳の働きがよくなり、脳の働きがよくなるんだよと説明すると。
「そっか」とその場では納得するが、実際に一人でやるときになると
きんちんとできなくて、嫌になってしまうようだ。

少しすると父と弟がやってきて、2人とも疲れていて転寝をしている
母が入院してもう5ヶ月。男2人でいろいろな疲れがたまっているようだ。

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2006年7月 1日 (土)

4度目の外泊(術後110日目)

今回で4度目の外泊。
こんなに外泊できるなら退院してもよい気もしてくるが、誰かが迎えに行って、送り届けなければ移動できないのだから、社会復帰はまだ早い。

タクシーにのって家に戻る途中で、ご近所さんたちに会った。
「あら、退院したの?もうすっかり元気じゃない。本当によかったわねー。」
そう言って母の手を握って喜んでくれた。
実家は古い下町で老人が多い。
私の母親の年齢前後の人がいっぱいいる。
年々、人が少なくなっていき、みんな病気になって入院したり、そのまま亡くなる人もいる。
近所づきあいはいろいろあって大変なこともあるが、それでも何十年も毎日顔を見ていた人がいなくなったら、それは寂しいものだろう。
早く帰ってきてね。といって母を励ましてくれた。

家に帰ると、部屋の中が散らかって汚れているのが気になって仕方が無い母。
そのくせ、自分で何を引き出しに入れていたのか忘れている。
引き出しの中身を引っ張り出しては、中身を確認して、またしまって。
その繰り返し。

「まったく、なんでみんなちゃんと片付けないんだろうねー。」
などブツブツ言いながら引き出しの中身をひっくり返していた。
そして、「なんでも撮っておくからいけないんだね。捨てないとね。」
反省もしていた。

その作業ですっかり疲れてしまったらしい母。
父が仕事から帰ってきた頃にはぐったりしていた。

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2006年6月26日 (月)

脳機能の回復具合(術後105日目)

新聞を読ませる。

政治面は難しいだろうから、社会面を読ませてみた。
高校生が厳しい父親に反発して、家に火をつけて家族が無くなった話。
読むのは読めるのだが、内容の質問をすると、まだそこまで読んでないよ。
と読んだ部分をすぐ忘れてしまう。

まだ、新聞は難しいのかもしれないと思い、日曜版の、絵と図がメインになった子供のお小遣いの使い方の記事を読む。
小学生、中学生のお小遣いの使い道は、飲料、マンガ、
高校生、交際費、CD、飲料となる。

さて、小学生はおこずかいを何に使うでしょう?と質問すると、どうにか答えらる。
ところが高校生のおこずかいの使い道になると、CDがすぐ出てこない。
なんだっけ、なんだっけ。と言いながら、言葉が出ない様子。
やはり、横文字は苦手なのだろうか。
その代わりというか数字は覚えが良く、平均お小遣い6500円!
という数字はすぐに覚えることができた。
不思議なものだ。

病院の1Fを一緒に歩いた。
すり足で歩くので、できるだけ足を高く上げて!姿勢をまっすぐ!
などと声をかけながらゆっくり1Fをぐるぐる回って歩いた。
だんだん足がしっかりしてきた気がする。

そういえば、前回外泊したとき、母は家の書類を勝手にかたづけてしまったらしい。
父が「書類がない。ない。」と騒いでいた。
案の定、母はどこにしまったか記憶がないらしい。

この期に及んで、父は「かあちゃんの頭が壊れちゃった~」と嘆く。
いまさら何を言っているのだ。
壊れた頭を今リハビリで一生懸命に修復している最中なのに。
今まで、いくら母の病状を説明しても、母と直接話をしていても、母が本には戻っていないということが把握できなかったらしい。
実害が出てやっと気付いたようだ。
遅いって。

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2006年6月18日 (日)

筋力低下(術後97日目)

実家は昔タイプの木造の家で、狭い。
いろんなものが、床に落ちて散らかっている。足の悪い母にはよくない環境だ。
さらに居間ではテーブルはなく、いわゆるお膳で食事をしている。
腰の悪い母は、以前から20cmくらいの籐の椅子に座って食事をしていた。

そして昨日、その椅子から立ち上がるときにバランスを崩し、すべってころんだのだ。
座って立ち上がるのがまだ難しいとリハビリの先生から言われていたが、心配が的中した。幸い怪我はなかったが、うっかりすると大事故になる。
せっかくよくなってきているのに、こんなところで骨折でもしたら大変だ。

お風呂に入るというので、見守っていたが、自分では大丈夫と言いながらも危なっかしい。父が手すりをつけてくれたが、それでも心配である。
背中を流してあげたら、オシリの部分の筋肉が削げ落ちたみたいになくなっていた。
大腰筋というのかな?あの部分がかなり弱くなっている気がする。
だから足は動くけどひょこひょこ歩きになるのだろう。筋肉が減っているから腰の部分がまだまだ安定しなのだ。座るとなかなか立ち上がれないのも、これでうなずける。

着替えるときも、立ったまま自分でパンツを履くのは難しいようだった。
病院では椅子に座って履くのだと言う。
さっそく父に風呂のときは椅子を用意するように言う。

椅子を常時置いて置けるほど、風呂場にはスペースはない。となると風呂に入るたびに椅子を用意しなければならなくなるが、果たして毎回まめに用意してくれるだろうか。
無理だろうな。

階段も手すりをつける予定だが、それでもかなり急な階段だ。
足の悪い老人にはキツイ。
古い家というのは、老人にはやさしくない建物になっているんだなー。
としみじみ感じる。

さらに、実家には物干しがあり、そこへはなんと折りたたみはしごを上らなければならないのだ。さすがにはしごは無理だろう。ただ物干し台には母の大好きな植木がたくさんある。少しよくなったらまた植木を育てたいに違いない。

次から次へと修理するところが出てくる。
いっそのこと建て直しちゃいたいところだが、そんな余裕もない。
どうしたもんか・・・。

でもね、せっかくお母さんが生き延びてくれたんだもの。
こんな悩みも、楽しみのうちと考えていかないとね。
古くても狭くても、工夫次第でどうにかなるもんよ。
今までもそうだったんだもん。

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2006年6月17日 (土)

誕生日(術後96日目)

今日は母の70歳の誕生日。
外泊許可を得たので、午前中の洗濯など家の用事を済ませて、午後迎えに行く。
母は外泊を楽しみにしているので、できるだけ早く行ったつもりだが、それでも3時。
母はすでに病室の外で着替えて待っていた。

まだダニのせいで病室は外部の人は立ち入り禁止になっている。
その病室に吊るしてあった洋服を着ている。しかもこの暑いのにハイネックの長袖。
家から持ってきた水玉の白のサマーセータに着替えさせた。
このサマーセーターは、母が自分には小さいからと以前私にくれた物だ。
それが、痩せてしまった母にはピッタリになっていた。
今回の病気で一回り小さくなってしまった母。きゅうにおばあちゃんになってしまったようでちょっと寂しいけど、生きているんだもん。ありがたいよね。

午前中、朝食を抜いて検査があったとのことで、母はちょっとボーっとしていた。
家へ帰っても、お茶を飲んで少ししたら「寝る」といって布団に入った。
まだまだ体力が戻っていない。少しの事で疲れてしまうようだ。
でも寝ていてもらったほうが、夕飯の支度や片付けなどに集中できる。
母が起きていると、心配で目が離せないからだ。

夕飯は、お寿司がメイン。
その他、ひじき煮、かぼちゃ煮、だいこんサラダなど、糖尿病の母でも安心して食べられる野菜を中心としたおかずを作った。
食卓におかずがいっぱい並ぶとなんだか嬉しい。
久しぶりの寿司で母も嬉しそうだった。

そして、誕生日プレゼントにはNINA RICCHIのナイロン製のポシェットをあげた。
「わー素敵~」と言いながら、母はとても喜んでくれた。よかった。
今までも、母にはよくバッグをプレゼントしてきたが、みんな手提げやショルダーバックだった。ポシェットなら杖を突いても大丈夫だと思い選んだ。杖を突かなくなっても、年なので手が空いている方が何かと良いに違いない。

食事の後は、みんなでトランプをした。家族でトランプをするなんて何十年ぶりだろう。
最初にババ抜きをやった。なんと母にババが渡ってしまい、母は相手にババをぬいてもらいたくて、他のカードをぬこうとすると力を入れて抜かせないようにしていた。
子供みたいな母。
その後、夫の提案で神経衰弱をすることに。
記憶障害がある母に神経衰弱は、無理だよー。と言ったが、夫は大丈夫、大丈夫と言ってトランプを並べてしまった。

その結果、母は意外と大丈夫だった。
勝者は一番若い弟だったが、次に私、夫、母、そしてビリは父だった。
神経衰弱で同じカードをあてられた事で、母も嬉しそう。自信を持ったようだった。
夫は、やはり少し離れた目で母を見てくれるので冷静な判断ができるのかもしれない。
私や弟は心配なのが先で、なかなか冒険ができないのだ。
いろんな人に刺激を与えてもらうのが一番良いのだろう。

母の70歳の誕生日は、なんだか子供の誕生日会のようだった。
みんな子供に戻ったみたいで、楽しかったな。

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2006年6月10日 (土)

ダニ発生(術後89日目)

同室の患者さんに、疥癬(カイセン)というダニが発生したという。
なんでも、病院や施設などで発生する場合が多いらしく、長い間風呂に入らなかったり、衣服を取り替えなかったりすると、そのダニが皮膚の中に入り湿疹などが出るらしい。

人から人へ伝染するため、発症した患者さんは隔離されたようだが、同室である母たちはまだ潜伏期間中にあるため、看護婦さんや見舞い客は病室に入れない。
そのため、看護婦さんはビニールでできた防護服を身に付け病室の中で作業していた。
見舞い客も病室の中に入る場合は、その防護服を身に付けなければならない。

なんだかそんなものが発生するなんて、病院が汚いからじゃないの~?
なんて思ってみたり。
なんだか気持ち悪いので母に病室から出てきてもらい、廊下や談話室のベンチで話をした。

少し病院の玄関前へ出たり、裏口から外を覗いたり、散歩をした。
1Fへ行くと、以前お世話になった看護婦さんたちがいた。
先週1Fに行ったとき、「あらー、こんなに元気になったの?」と言われたそうだ。
母は、1Fにいたときの記憶はないのだが、おかげさまでと言って頭を下げたんだ。
なんて言っていた。
1Fへ行くと、危篤状態だった頃の事を思い出す。
あの頃から思うと本当に元気になってくれた母。
本当によかった。

ダニに感染していないと良いのだけれど。

疥癬(カイセン):(家庭の医学より)
ヒゼンダニ(疥癬虫)によって起こる病気です。衣類や寝具を介してヒトからヒトに伝染します。したがって、しばしば家庭内、施設などで集団発生します。皮膚につくと角質層に卵を産んで増殖していきます。1カ月の潜伏期間を経て、全身にかゆい皮疹がでてきます。

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2006年6月 6日 (火)

先生の話(術後84日目)

午前中、老人保健施設で説明を聞いたあと弟と病院へ寄った。
ちょうど、回診の時間で久しぶりに主治医の先生に会った。
先生も「あー」とちょっと驚いたような嬉しそうな顔をしてくれた。
「じゃあ、次は老健へ行くってことで。」と母の身の振り方を確認。
そして、なかなか話す機会も無いのでここぞとばかり、母の経過について質問の嵐。

脳の手術の後、3ヶ月くらいは水頭症の可能性があるといっていたが、どうなのか?
― お母さんが水頭症になるとしたら、それは普通の老人と同じくらいの確率です。

手術をしたときに開いた母の頭蓋骨の一部がへこんでいるが?
― これはしょうがない。でも特に問題はないので気にしなくて良いとのこと。

パーキンソンの薬は何で飲んでるのか?
― これはパーキンソンの人も飲むけれど、お母さんの場合は手足の動きをよくするために飲んでいる。パーキンソンの症状はない。

前回CTの写真を見たときに右前頭葉に残っていた血は消えたのか?
―それは、もうさすがに消えている。ただ出血でダメージを受けた脳は元には戻らない。
とのことだった。

おそらく、前頭葉の血が消えたせいでかなりお母さんの意識がはっきりしてきた。
ただ、出血で損傷を受けた脳は、記憶障害として残っていくのだろう。
と私なりに理解した。

今後、糖尿病のインスリンは打ち続けるのか?
―それは内科の先生に聞かないとわからない。
そりゃそうだ。

久しぶりに主治医の先生に会えてよかった。
母の状態も聞けたので安心できた。

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2006年6月 3日 (土)

母への説得(術後82日目)

母は一時退院して自信を持ってしまった。
自分はもうすぐ退院できると思っている。
かわいそうだが退院はまだ早い。
今後家ではなく老健に行く予定である事を母に説明した。

自分では元気で大丈夫と思っているだろうが、他の人から見たら危なっかしいこと。
田舎のおばちゃんが入院した後、皆が一人にするのは心配だって言っていたよね?
それと同じように私たちもお母さんから目を離すのが心配なんだよ。
 
くも膜下出血で出血したときに、頭の中に血が流れた事で脳に記憶されていた事が消えちゃったの。食事も、オムツも、歩くのも、赤ちゃんからやり直しているのに似ているよね。だから、消えた部分を思い出したり、ドリルとかいろんな訓練をして、一から作り直さなきゃいけないんだよ。
(正確には損傷したのが、その言葉はショックが大きいような気がしたので、わかりやすくなおかつショックが少ない言葉で説明する)

母は、あーなるほどという顔をして、こう言う。
「確かにリハビリで記憶の問題をやると、どうしてこんなのがわからないのかと思うような簡単な事がわからないくて、おかしくなっちゃうんだ。」
「そっか、じゃーお母さんは今何歳くらいになったんだろうねー。」と聞くと
「まだ小学校1年生くらいかもしれないねー。」と笑っていた。

私も去年盲腸で入院したから退院したい気持ちはよくわかるよ。
私たちが子供のとき、お母さんが心配してくれたように、私たちもお母さんのことが心配なんだよ。
もう70歳になるのだがら、おばあちゃんといわれる年になるのだから無理しないでくれと説得した。母は少し涙ぐんでいたが納得してくれたようだった。

そうだね。あんたたちにこれから世話になるんだからねー。
と言う。そういうこととはちょっと違うのだが、母なりに理解したのだろう。
少しかわいそうだけれど、今後のことを考えベストな選択だと信じる。

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2006年5月28日 (日)

今後の課題(術後76日目)

お昼前に実家に行くと、母と父は2人仲良く居間でテレビを見ていた。
昼食を用意して、一緒に食べる。

母は一日経って慣れたせいか、一人でフラフラ歩くようになった。
どこ行くの?と聞いても、言わずにどっか行ってしまう。
後から付いていくと2階に上ろうとしている。
ダメだよ。2階に上っちゃダメ。降りてこられないでしょ。と怒っても、
大丈夫だよ。といって、上がっていってしまう。
病院の階段と違って家の階段は傾斜が急なのだ。
ハイハイをするように手も使って登っていく。
そして、やはり散らかった弟の部屋を見て。
あーあー。とため息をつく。
少し片付けたものの、やりきれないと判断したのだろう。あきらめたようだ。
階段を下りるときは、また同じように階段側に顔を向けて手と足を使って下りる。
途中で少し足を滑らせて、おっと。なんて言っている。
まったくもー、だから危ないって言ったのに。

家に帰ってきてしまうと、ダメだと言っても言う事を聞かない。
自分の家だから、すべてを把握したいのだろう。
その気持ちがわかるだけに、やはり母はまだ一人で家で過ごすことはできないと確信した。
料理もやりたいと思うだろうし、2階に上がって洗濯物を干したいと思うだろう。
まだ記憶も消えるし、足元もおぼつかないのだ。
火事が起きたり、骨折でもしたら大変なことだ。
まだまだ、退院は無理である。

あと、まだオムツも取れていない。
今はトレパンマンまで上達したようだが、うまく我慢する事ができないらしい。
したいと思ったときには、もう遅いらしいのだ。
だから、今回は2時間おきくらいに、トイレに行こうよ。と連れて行ったがそれもおもしろくないらしい。まだ出ないよ。とムッとしている。
それなのにやっぱり失敗して、トイレで取り外したオムツを台所の三角コーナーに入れていた。おいおい何でそんなところ捨てるの!
やっぱりまだ、ちょっとおかしい。

そして、最大の問題は、血糖値測定とインシュリン注射だ。
今回は、私が看護婦さんに血糖値の測定方法と注射の打ち方を習ってきた。

血糖値の測定キットがあり、そのキットにリセット用の電極を入れた後、測定用の電極をセットする。
血を採るために、指を刺す特別なキットに針をセットして、指にパチンと針を刺し血を出す。出てきた血を測定用の電極に垂らして、測定する。
測定後、インシュリンの注射機に注射液を14単位入れる。
空気が入らないように入れるのが、簡単そうに見えて、実は意外と難しい。
そして、脂肪がたくさんある部分、腕とか腹とか太ももに注射する。

これを弟に説明して、作業は弟に全部やってもらった。
退院したら、それをできるのは弟だけだからだ。
父は複雑で細かい作業はできないし、母はもちろん無理。
一緒に住んでいる弟がやるしかないのだが、毎日できるのだろうか?
弟も、うわーやだ。うわーやだ。と言いながら母の腕に針を刺していた。
私も、こういう作業は苦手だ。

食前血糖は118. 食後血糖は188だった。

退院するまでに、インシュリン注射だけは卒業して欲しい。

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2006年5月27日 (土)

一時退院(術後75日目)

先生から外泊許可が出たので、この土日に家に帰ることになった。
3時頃迎えに行くと、すでに母は洋服に着替えてベッドに座っていた。
お昼食べてからすぐに着替えたそうだ。
すっごい楽しみにしているんだね。そりゃそうだよね。家に帰りたいよね。

リハビリの先生が来てくれて、注意事項を説明してくれた。
お母さんは、右足が弱いので、杖は左についてください。
あと、倒れる場合は前に倒れるので、右側に立って一緒に歩いてあげてください。
座ってから立ち上がるときに、自分では立ち上がれませんから、手を貸してあげるか、台を用意してください。
ありがたい。こうして詳しく説明してくれると安心できる。

先生の注意にしたがって、母は杖を付き、私が右側を歩いて病院の出口まで降りた。
それでも初めて外に出るのが不安なのだろう。母はしっかり私の手を握っていた。
小雨が降っていたので、母に入り口で待つように言い、タクシーを捕まえた。
病院前だからタクシーはすぐに来る。母を呼んで一緒にタクシーに乗る。
家は近いのでワンメータで着いてしまった。

家の中に入ると、へえ~といいながら部屋中を見回す母。
そして、散らかった部屋を見て「あーあー」とため息をついている。
・・・確かに、散らかっている。
実家は、古い家でとても狭いので、片付け切れず外に出ている物が多い。
その上、母の2ヶ月間の不在の間に、散らかり放題になっていた。
私も掃除が苦手なので、うまく片付けられない。しかももう10年も前に出た家だから、何がどこにあるのかもわからない。お手上げである。

とりあえず、その辺に散乱している新聞紙を片して、お茶を入れる。
久しぶりの煎茶を飲んで「あー、おいしい」と嬉しそうにしていた。
その後、マチコおばちゃんやヒデコ姉に電話した。
「退院したんだよ~。」なんて言ってる。違うでしょ。一時退院だよ。
でも話しながら、やっとノガミに帰ってきたんだよ。って自分が生まれた場所の名前を言う。違うよ。と声をかけると、あっ、間違えた。xxxxだ。と言い直していた。
やはり、昔の記憶の方が鮮明なのだろう、同じ間違いを何回も言っていた。

その後、夕飯の支度をしていると気になるのか母も台所にやってきて、冷蔵庫を覗いている。賞味期限切れの煮豆やおしんこやソーセージなど、古い食材がいっぱいあったので、処分していると。あーあー。と残念そう。
ほらほら、あっちで座っててよ。と言っても、ここは実家の台所、母にとっては自分の城だ。気になって仕方がないらしい。
ほら、これも捨てて。これは大丈夫。と仕分けをしたり、あーあ、なんでこんなに汚れてるのに気にならないのかねー。と文句を言いながら、流しの掃除を始めようとする。
あー、もうそんなのいいから、危ないから座っててよ。

やっと、居間に戻ったと思ったら、今度はバナナを食べている。
だめだよバナナ食べちゃ。インシュリン打っているんだから間食しちゃダメなの。
薬を飲んだ後やインシュリン打った後でなければ、体内のインシュリンが働かず血糖値が上ってしまうので間食はしていはいけないという説明をする。
そうだったんだ。お昼にバナナが出たけど食べなかったから、いいと思ってさ。
なんて、記憶はできないくせに、言い訳はものすごく上手いのだ。
本当にわかってくれたのかどうか。

夕方、父と弟が帰ってきて夕飯にする。
私が作っておいた煮物とサラダ、弟が買ってきたお刺身。
母はひさしぶりのお刺身を美味しそうに食べていた。
父は母と一緒に食事ができて嬉しそうだった。

束の間の一家団欒であった。

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2006年5月21日 (日)

見舞客9人(術後69日目)

今日は、いとこのヒデコ姉とヒロミ姉が見舞いに来るというので、3時ごろに病院へ。

母の病室に行くと、なんだか人がたくさんいる。
なんでこんなに見舞い客が!!!
ヒデコ姉とヒロミ姉が母のベッドに座り、娘のマサミとヨーコちゃんがベッドの間の通路に立ち、更にいとこのトール兄と奥さんが椅子に座っていた。
総勢6人が母のベッドの周りを問い囲んでいた。
他の人が見たら「いったい何が起きたんだ?」ってビックリするに違いない。
やれやれ。

母は兄弟が多いので、当然甥っ子や姪っ子も多い。
昔から母の田舎へ行くと、多くの人が出たり入ったりして、にぎやかだった。
たくさんの人の中で育った母は、お客さんを呼ぶのが大好き。だから病室でも、たくさんの親戚に囲まれているのは、とても嬉しいようだ。

でも、周りの患者さんの迷惑にならかと気が気でない。
いくら他の患者さんの意識レベルが低いとはいえ、母のまわりだけ妙ににぎやかなのって、どうよ? ここは病院だよ。

1階の待合室に連れて行こうかと考えたが、待合室で長時間話ができるほど母が回復しているとは思えない。かといって、遠くから来てくれたのに、早く帰れとも言えない。
それに、母もすっごい喜んでる。
お見舞いに来てくれるのは刺激にもなるし、とてもありがたいのだが、できれば少人数で来て欲しかった。
全然、解決策になってないけど、とりあえず私だけでも廊下に出ていた。

私が来る少し前には近所の人が2人来たそうだ。
マサミが気を利かせて、お茶を買ってきてあげたという。
そして、さらに1時間後くらいにまた近所の人が一人、ご来店~。
見舞い客の多さにひるんだのか、いや遠慮したんだろう。
私と母と15分くらい話すと、そそくさと引き上げてしまった。

日曜日でも、誰も来ない日はいっぱいあったのに、なぜ今日に限ってこんなに見舞い客が多いのだろう。
見舞い予約システムでも作っておけばよかった・・・。
と、実現できそうにないことまで考えてしまう。

来週、母が一時退院できることになったので、父はトイレや風呂の手すりをつけていた。
病院へ行こうか?と父から電話が入ったが、これ以上人が増えるのも嫌だったので、大丈夫だから来なくて良いと返事をした。
でも、今になって考えると、お見舞いをもらったのに父が挨拶にも現れなくて、失礼なことをしたなー。と思ったり。

まあ、そんなこんなで気疲れし、座る椅子もなく立ちっぱなしで、なんだかものすごーく疲れてしまった。

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2006年5月20日 (土)

理解力(術後68日目)

4時頃病院へ行こうと、駅を降りたら突然の雨。
まるで台風のような激しい雨のなかをテクテク病院まで歩いた。

病院へ着くと、今までの病室に母がいない。
看護婦さんに聞くと、部屋を移動したとのこと。
今度は同じ階のリハビリ室に近い6人部屋だった。
また、狭くて暗い部屋になってしまった。
まあ、この古い病院ではどの病室も似たようなものだけど。

3人部屋で隣にいたおばあちゃんも同じ部屋に移動になっていた。
もう一人の元気でうるさい99歳のおばあちゃんは退院したそうだ。
今度の病室では、母が一番元気。
他の人達は意識のレベルが低く、母以外は食事ができないみたい。

マチコおばちゃんから手紙の返事が届いていた。
それを声を出して読んで聞かせてくれた。
自分で全部読むことができた。すごいぞ。

所々、こみ上げてくるものがあるのか、声を詰まらせながら読んでいた。
マチコおばちゃんもお母さんの手紙を見て涙が出たと書いてあった。
母は兄弟が多いが、とくに妹のマチコおばちゃんとは仲良し。
年を取っても仲良くできる姉妹がいるって、いいなあ。
ちょっと、うらやましくなっちゃった。

母は未だに、自分の病気が脳梗塞だと思っている。
そこで今日は、くも膜下出血の詳しい話をノートに絵を書きながら説明した。
頭の血管に動脈瘤があったこと。
それが切れて出血し意識を失ったこと。
頭を開いてクリップで止める手術をしたこと。
出血が少なかったからこうして回復できていること。
とても運がよかったこと。などなど。
やっと理解してくれたようだった。
頭の中にクリップが入っているんだよ。
と言うとビックリした顔をして頭をしきりに擦っていた。

その後、リハビリの様子を聞いた。
4人いるリハビリの先生の名前を聞いたが、全部は答えられなかったので次回の宿題にした。
足のリハビリでは、実際の階段を使って上り下りをしているらしい。
手のリハビリでは、風船バレーや、トイレの練習のほかに、洗濯の練習をしているとのこと。
「洗濯バサミではさむの。」とジェスチャーを入れながら説明する母。
そして、手で四角い形を作って。
「こういうの。何だっけ? こんなの。何だっけ?」
一生懸命、手で四角い形を作るが、言葉が出てこない。
絵に描いてみなよ。といって、ノートを渡す。
すると、尖ったりんごのような形を描き、次にりんごの逆さまのような形を描き、。。。。
「・・・あっ、トランプ?」 尖ったりんごはスペードの形だった。
「そうそう、トランプ。トランプを洗濯バサミではさんで練習してるんだよ。」
やっと、思い出してほっとしている様子。
手紙に書いてある文字はスラスラ読めても、文字になっていない単語は、思い出すのが大変なんだなー。

言葉のリハビリでは簡単な計算問題もやっているとのこと。
「あと、絵が描いてあって、すごく簡単な問題なんだけど、わからなんだよ。おかしいんだよねー。」
簡単な問題ができないから、自分はまだおかしいいと認識できている。
先週も昼ごはんの記憶がないことをおかしいと言っていた。
自分がまだ普通の状態に戻っていない事が、わかってきているようだ。
自分の状態を理解できるってことは、回復してきていると思って良いのではないだろうか。

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2006年5月17日 (水)

客観的な評価

家にいとこのトンちゃんから以下のようなファックスが入っていた。
--------------------------------------------
昨日、おばちゃんに会いに行ってきました。
思った以上に回復していて、びっくりしました。
何と言っても、窓際にいるおばあちゃんの面倒を見ていることがすごかったです。以前と変わらずお世話係をしていました!!

会話も成り立ち、又前かがみと言いつつ少し歩けていました。
とても安心しました。ただ病院内と外は全然違うので外に出たときは心配です(これは若くして入院した人の話を総合しても退院後、外を歩くのは大変との事です)

それと同時に機能、母の所に手紙が届きました。
とてもとても喜んでいました。ありがとうございました!!

あせらず少しずつ少しずつ回復していければと思います。
又、会いに行きます。 お体に気をつけて。
----------------------------------------------

トンちゃんは介護の仕事をしているので、いろいろアドバイスをしてくれる。
トンちゃんのような介護のプロから客観的な評価をしてもらえると、安心できる。家族だと、どうしても贔屓目に見てしまうから。
今回、母のことでは本当に頼りにさせてもらっている貴重な存在だ。

その上、忙しいのに病院にも顔を出してくれる。
こうしてFAXで報告までしてくれて、本当にどうもありがとう。
母は幸せ者だわ。

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2006年5月15日 (月)

オセロ(術後62日目)

そういえば、日曜日にはオセロもやった。

最初は気乗りしないようだったが、「せっかく買ってきたんだから」と言いながらオセロゲームをテーブルの上に乗せ、白と黒の石を設置する。
見ているうちにやる気になったようで「私は黒がいい」と言い出した。

ちょうど看護婦さんが血糖値を測りに来て「あら、オセロやるんだー。」と声をかけてくれた。「やるのは10年ぶりくらいかな」と答える母。
「じゃあ、がんばって勝ってね」と看護婦さんから応援を受け、母はなんだか楽しそうだ。

いざ、始めてみると母はルールを忘れていた。
「お母さんは黒だから、白の石をはさむようにこうやって置くんだよ。」
実際に黒の石を置いて、白の石をひっくり返して黒にする。
「こうやって、自分の色に変えることができるから」

どうにか理解できたらしく、自分の順番になると真剣になって考えている。
やっと黒の石をはさめる場所を探し、石を置き、白をひっくり返す事ができた。
そうそう、その調子。

私も自分に有利にゲームをすすめないよう注意をしながら石を置く。
母のやる気を損なわないようにするのも難しい。
母は意外と負けず嫌いなので、そこそこに負けてあげなければいけないのだ。

だんだん石が増えてくると、母の考える時間も長くなる。
考えているうちに、間違えて「白」を置いたりする。
「お母さんは「黒」だよ。」と注意すると、あーそうだった言って笑う。
それが何回もあった。
やはり、ゲームをやっているうちに、忘れてしまうのだろうか。

結局、最後まで終わらないうちに夕飯の時間になってしまった。
ポケットサイズのオセロだったので、石をひっくり返すのが大変なようだったが、かえって手の運動になって良かったかもしれない。
何より、ゲームをするために考えるというのは、頭の良い訓練になったと思う。

この日は、外の見学から始まって、手紙を書いたり、オセロをしたりと、盛りだくさんな一日だった。
母の今後のためには、良い母の日になったと思う。

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2006年5月14日 (日)

手紙を書く(術後62日目)

Hana 今日は、母の日。
奮発してカーネーションの花束を持っていった。
また母と一緒に、ハサミを使って花を切り、活けた。
花の量の割にはカゴが小さいのか、少しバランス悪いけど綺麗!
それに、とても喜んでくれたのでよかった。

母の髪は、開頭手術でおでこの前の髪の毛だけが短くなっていて、山姥みたいなすごいヘアスタイルになっている。病人とはいえ、ちょっとかわいそうなので帽子を持ってきてあげた。すっごい似合う、というわけではなかったが、かぶらないより良いみたい。

今日は、車椅子に乗って初めて病院の外に出てみた。
といっても病院の正面玄関を出たところまで。
病院の前は交通量の多い道路だ。
そこは、母もよく知っているはずの場所なんだけど思い出せない様子。
ほら、この道を右にずっと行くと駅だよ。左に行くと郵便局だよ。
などと説明するがピンと来ない様子。
少し先に材木屋の看板が見えた。あれは、父が昔よく使っていた材木屋だ。
「ほら、あそこの道を入ると板橋木材さんだよ。その隣が私の高校の同級生のタテ子の家だよ。」と言うと、あー、という顔をする。やっとわかったみたい。

確かに病院の周りは昔から思うと、かなり変わってしまっている。
この辺に来る用事もないので、わかりずらいかもしれない。
イマイチ実感がわかない様子。
でも、外の世界にはかなり興味津々のよう。
車椅子での短い冒険は楽しかったらしく、しばらく病室に戻りたくなさそうだった。

その後、病室に戻り「塗り絵」をやろうと薦めたが、「ヤダ!」と言う。
やはり、絵はあまり好きではないらしい。それを予想して絵はがきを持ってきた。
リハビリで字を書いているというので、手紙にトライさせよう思ったからだ。

まず、母の妹のマチコおばちゃんの住所を書かせた。
私が書いてきた住所を見ながら、ちゃんと書き映している。
文面は下書したら?と言ったが、直接書き始めた。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
先日は遠い所、来てくれて有りがとうございました。
お体のぐあいはいかがですか?
私もリハビリをがんばってます。
元気になったら伊豆に行きましょう。
- - - - - - - - - -  - - - - - - - - - 

先日は遠いところ来てくれて・・・と声を出しながら、一字ずつしっかりと書いている。
本当は来てくれたの覚えてないけど、なんて言って笑いながら書いている。
書きながら、えーっと、何だっけ?と言ったりするので、少し手助けをしたが、ほとんど自分で考え、漢字も思い出し、しっかりした字で書いていた。
お母さん。こんなに書けるようになったんだ! 
なんか、飛躍的に回復してるんじゃない?
こんなに書けるとは思ってなかった。
すごいよ、お母さん。ちょっと感動しちゃった!

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2006年5月13日 (土)

折り鶴(術後61日目)

昼間、溜池で友達とランチをした後、病院へ向かったので既に夕方になっていた。

母は私の姿を見て、「これから行くの?」と言う。
あのー、もう夕方なんですけど~。
母も時計を見て「あー、夕方なんだ。」という。

寝ていると、朝か夜かわからなくなってしまう。
朝ごはんも昼ごはんも食べたかどうか覚えていないらしい。
短期記憶はまだまだ回復しないようだ。

「食べてないはずはないんだけど、覚えていなんいんだよねー。
おかしんだよ。」
自分でも記憶がないことを不思議がる様子。
認知症の場合などは、忘れている事も認識できないらしいので、自分で忘れている事がわかっているだけでも、良しとしよう。

その後、いきなり意を決したように母はこう言った。
「ねえ、野上のタケオさんは生きてるの?死んでるの?」
タケオさんとは、母の兄弟で一番上のお兄さんである。
これは余談だが、兄弟の長男がタケオ、次男がツギオという名前だ。昔は兄弟が多いからなのか、ずいぶん手抜きをした名前である。
で、そのタケオおじちゃんは3年ほど前に、すでに亡くなっている。

「やだ、お母さん。おじちゃんは3年前に死んじゃったよ。」
と言うと、しきりに首をかしげる。
「うーん、よく覚えてないんだよねー。お葬式は家でやったの?」
自分なりに記憶の手がかり探そうとしているようだ。
「そうだよ。家でお葬式やって、その後みんなで火葬場へ行ったんだよ。ほら、火葬場でヒロがお腹が空いていて、他の人のお弁当を食べまくってたじゃん。」
35歳にもなる従兄弟が他の人の弁当を食べまくる姿は、親戚の中ではかなり印象的な出来事だったのだ。

すると、あ?という顔をしたので、思い出したか!と思ったが
「あれは、おじいちゃんの葬式じゃないの?」
なんて言う。
は? おじいちゃんって、私が1歳くらいのときに死んでるんだよー。
もう40年も前の話じゃん! 
そう言っても、ふーん。と言う感じ。
昔の記憶がはっきりしているときもあれば、今の記憶の方がはっきりしていることもある。なんだか不思議だが、とにかく記憶障害があるのは間違いない。

その後、一緒に鶴を折った。
だいたいの折り方は覚えている様子。
鶴の尻尾と口に当たる部分など、先を尖らせて折らなければならない所などは、老眼のせいなのか手がそこまで細かい作業ができないせいなのか、うまくできなかった。
でも、一応鶴の形にはなったので、無事完成!!

一つずつでも出来ることが増えてくると、とても嬉しいね。

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2006年5月 7日 (日)

トイレへ(術後55日目)

急に「トイレに行く。」と言ってベッドから出ようとする母。
え?勝手に行っていいの?
一応、看護婦さんを呼ぶと、家族が付いていればトイレに行ってかまいませんよ。
お母さんは、自分で歩けるから大丈夫だけど、転んだりするといけないから念のため付いていってください。とのことだった。

杖をついて、ひょこひょこトイレまで歩いていく母について行く。
トイレは病室の目の前にあるので、すぐだ。
少しふらついているが、どうにかトイレにも座れるようだ。
まだオムツをしているので、オムツを取り外すとその中に便が入っている。
え? トイレで用を足したいから来たんじゃないの?
オムツを取り替えるために来たのだろうか?

よくわからないが、とりあえずトイレのドアを閉めてあげる。
「出てくるとき呼んでね。」と声をかける。
しばらくして、母はオムツを手に持ってトイレから出てきた。
キョロキョロしてオムツを捨てる場所さがしているようだ。
オムツの事が気になったのか、杖をトイレの中においてきてしまった母。

「あれ?お母さん。杖がなくても歩けるじゃん。」
と言うと、母も あれ? って顔をして驚いている。
オムツの処理で頭が一杯で、足のことは忘れてしまったようだ。
その後も、とりあえずオムツをおいて、手を洗い、そのあと杖を持った。

やらなければならない事があれば、無意識のうちに動けるのだ。
病気だから危ないからと用心しすぎると、できることもできなくなる恐れがある。
転倒などの注意は必要だが、あまり甘やかさない方が母のためには良いかもしれない。

その後、病室に戻ると、看護婦さんを呼んでまたオムツをしてもらっていた。
オナラをすると、便が出てしまうことがあるらしい。
まだ、そのあたりのコントロールができないようだ。
でも、オムツが取れてくれないと、一時退院もできない。
まずは、一人でトイレに行けるようになることが目標だ。
がんばれ!

その後、病室で母に「何の病気で入院しているか知ってる?」と聞くと
「うん、脳梗塞」と言う。
以前、一度脳梗塞で入院した事があるので、その延長だと思っているのだろう。
「お母さんは、くも膜下出血だったんだよ。」と言うと
不思議そうな顔をする。
「この病気は、40歳くらの若い人でもなる病気なんだって。お母さんと同じように、今日やったことを忘れてりする人も多いから、それを治すために、いろんな練習やドリルとかリハビリをして社会復帰するんだよ。」
母にもわかるよう簡単な言葉で説明したのだが
「そういう人は大変ねー。嫌だねー。」なーんて、まるでひとごと。
自分がそうだとはまだ理解できないらしい。

明日からまたリハビリが始まる。
「リハビリのお迎えが来たら、ちゃんと運動靴を履いていくんだよ。」
と何度も説明する。
「足のリハビリの先生には、腰が痛いってちゃんと言うんだよ。」
と言うと、「すべり症です」と自分の病名を答える母。
「これくらい言えなくちゃね。」なんて、余裕があるような答え方をする。
まったく、母はどこまでわかっているのか、わかっていないのか、
だんだん、こっちがよくわからなくなってくる。

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2006年5月 5日 (金)

塗り絵(術後53日目)

連休中はリハビリがない。
その間、寝てばかりでは意識がまたボケてしまいそう。
そう思い、「大人の塗り絵」を買った。

Nuri 絵心のない人でも、下絵にそって色を塗れば綺麗な絵に仕上がる。
簡単なのに本格的なところが魅力なのか、よく売れているらしい。
本屋の書棚では1段分すべて塗り絵だった。

病院に持っていくと、なんとすでにクレパス付きの塗り絵セットが置いてあった。
弟が買ってきたらしい。
うわー偶然。兄弟って考える事が似てるのかな。
弟もいろいろ考えてるんだなー。としみじみ思う。
でも、違う種類の塗り絵だったので、重ならなくて良かった。

さっそく母に塗り絵やろう!と言ったが
「今日はやらない。」と言う。
昨日も、弟に塗り絵をやろうと言われたがやらなかったという。
そのせいか、弟は自分で塗り絵を1枚仕上げていた。
綺麗に塗られた絵が飾ってあった。

「頑としてやらないんだ。」なんて、なぜかとても頑固な母。
「最近、塗り絵はやってるんだってよー。」と、言うと
「ボケたりする人が多いからね。」と言う母。
ははーん。
どうやら塗り絵なんてボケ老人のやることだと思って、拒否しているようだ。

「塗り絵はボケの人じゃなくて、普通の大人の人が趣味でやるんだよ。
塗り絵で絵を練習して、絵葉書や絵手紙を出すのが流行ってるんだって。」
ボケの人用でなく、趣味だということを強調すると
少し興味を持ったようで「へえー、そうなの。」と言い、
やっと塗り絵の本を手に取った。

その後、弟も病院にやってきた。さっそく塗り絵の話をする。
この「大人の塗り絵」は累計で70万部も売れてるんだってさー。
へー、すごいねー。これなら上手く書けると思ってみんな買うんだねー。
おもしろそうだもんね。 絵葉書にもなるしねー。

なんて、大げさに塗り絵に感心するふりをしながら話しをしてから
「書いてみる?」と母に聞くと「うん。」と言う。
やった~。やっとその気になってくれた。
やる気をださせるのも大変だ。

Nuri2 もともと母は絵心があるわけではない。
しかも、老眼もあるので下絵が良く見えないときてる。
仕上がった塗り絵は、お世辞にも上手ではなかったが
「なかなか良いじゃ~ん!」と言って褒めまくる。
塗り絵は2冊もあるのだ。どんどん塗ってもらわないと!

この「大人の塗り絵」は脳の活性化にも良いということで、人気があるらしい。
花の絵以外にも、色々な種類があるので好みに合わせて選ぶ事もできる。
自分でやっても楽しめそうな感じ。

Nuri3 すみれの絵が仕上がったので、絵の下に「すみれ」って書いてみよう!
そう言って、母に字を書かせた。
最初に書いた字が、「すみれ」の「す」に見えなかった。
ああああ、まずい!
まだ字は書けなかったのか・・・。あせった。
でも良く見たら「スミレ」とカタカナで書いていた。
あ~、よかった。
カタカナは書けるんだね。 ほっとした。


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2006年5月 3日 (水)

記憶の不思議(術後51日目)

Hibiya 病院へ行くと、ちょうどマサミが来てくれていた。
日比谷花壇のお花を持ってきてくれた。
とても素敵・・・。
母も嬉しそうだ。

マサミは母があまり話さないので、話すことがなくて困っていたという。
今までは、おしゃべりな母がずっと話しているので、相槌を打つだけで会話が成立していたのに、今の母は話しかけなければあまり話さない。

廊下で男の人の声が聞こえた。
「てっちゃんがいるような気がする」という。
てっちゃんとは、母のお兄さんで栃木に住んでいる。
「ここには、いないと思うよ。」と答えると
「せがれがこっちにいるから、その辺に来てるんじゃない?」
なんてトンチンカンなことを言う。てっちゃんに息子はいないのだが・・・・。
今日は祝日なので、リハビリもなくずっと寝ていたらしい。
寝ている時間が長いと、ボケっぽくなる気がする。

最近、北海道のことをよく言う。
今日マサミは北海道から来たの?なんてトンチンカンなことを言う。
「なぜ北海道?」とマサミも笑う。マサミは練馬から電車で来たんだけど。
しばらくすると自分でも、変なことを言っているとわかるようで、夢と現実がごっちゃになっているみたいと言う。混乱している事が自分でわかるだけ進歩している気がする。
でも、お昼に関しては、また食べたかどうかわからないとマサミにも言ったそうだ。
なぜか、お昼ごはんの記憶はいつもない。

でも、おととし一緒に十和田湖へ旅行へ行ったときの記憶ははっきりとあるようだ。
バスガイドさんが、「こんなに天気が良い日は、30年間ガイドをしていて初めてですよ。」と言っていたことまで覚えていた。印象深い事は、覚えているのだろう。

そういう私も、母が「すべり症」だったことをすっかり忘れていた。
母はすべり症のせいで、腰が痛く、最近は腰を曲げないと歩けなかったのだ。
おとといリハビリを見学したとき、STさんに「もっと腰を伸ばして歩いて。」と母が言われているのを見ていたのに、気づかなかった。
1日たってから、そういえばお母さんは「すべり症」だったんだ。
腰をまげて歩くのは、出血やずっと寝ていたせいだけではなく、すべり症の影響もあるに違いない。そのことをすっかり忘れていた。
私ったら、なんで忘れてちゃったんだろう。

健康な人でも、大事な事なのにコロッと忘れてしまうことってある。
たいしたことないのに、ずっと覚えていることもある。
記憶のメカニズムって不思議だ。

実家からリハビリ用にスニーカーを持ってきた。
ベッドの下に置いたが、来週までリハビリはないらしい。
「お母さんすべり症だった事覚えてる?」と聞くが首を振っていた。
やはり忘れているらしい。

帰り際、マサミに何かおいしいものでもごちそうしてあげたら。
と言う母。その辺の気遣いは、昔の母と変わらない。
母らしい言葉が聴けて少し安心する。
マサミはこれから渋谷へ出かけると言うので、お茶だけごちそうした。
連休中なのに、わざわざ来てくれてありがとう。

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2006年5月 2日 (火)

生け花(術後50日目)

家に咲いていたコデマリを病室に飾っていたが、家から持っていく花は何故かすぐに枯れれてしまう。
今回は、花屋さんで切花を買って、活けることにした。

以前、入院していたときに頂いた花のかごと、オアシスを使って活けることに。
いつも病室の花に水を上げたり、枯葉を取ったりしていると
「そこも切っちゃって。それはもう少し短く」なんて花にはとても興味がある母。

Ikeそこで今回は自分で花を生けてみたら?と言って、やらせてみた。
最初は、母の指示に従い私がはさみで茎を切っていたが、そのうち面倒になったのか、自分でハサミを使って花を切り、活けていた。ハサミも上手に使っている。
手の力は、まったく問題がないように見える。
ただ、オアシスに花をさす時の微妙な力加減が、まだ難しいようだ。
でも、上出来である。

食事も、今までスプーンとフォークだったが、なんだかフォークが食べずらそう。「箸で食べる?」と聞くと、「うん。」と答えるので、箸を持ってきた。
フォークよりも箸の方が上手に扱えるようだ。
なんだ。こんなことならもっと早く箸を持ってくればよかった。

食事は、まだ意識がはっきりしない頃から開始していたので、手の力はかなり戻っているようだ。やはり早いうちのリハビリは大切な気がする。

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2006年5月 1日 (月)

リハビリ見学(術後49日目)

今日は初めてリハビリを見学した。

まず足のリハビリでは、理学療法士(PT)さんが足をマッサージ。
PTさんの頭をじっと見ながら、マッサージを受ける母。
白髪を見つけて、嬉しそうに毛を抜くしぐさをしてイタズラをする母。
PTさんも気づき「最近、白髪増えちゃって。僕、何歳に見えますか?」
と母に聞く。
少し考えて「うちのせがれよりも若いかな」と言う。
「息子さんは何歳ですか?」と聞かれると「30歳。」という。本当は33歳だ。
PTさんは「僕は35歳なんですよ。」と言うが、とても若く見える。

マッサージが終わると、自分で杖をつきながら廊下を歩く練習だ。
後ろでPTさんが付いて、ちょっとふらつくと支えてくれる。
ゆっくりだけど、ふらついたりするけど、足を踏み出して歩いている!!
すごいじゃん。お母さん。

10m位歩くと、廊下の行き止まりになり、そこに置いてある椅子で一休み。
STさんが脈を測る。
そして、またこちらに向かって歩いてくる。車椅子に座って一休み。
次は、廊下の行き止まりで休まずに、廊下を往復して歩くことができた。
すごい。

STさんによると、最初は立っただけで気持ち悪いと言って帰ったそうだ。
だんだん歩く距離が伸びてきたね。
前回はもっと脈も速かったけど、だんだん体がしっかりしてきたね。という。

そして、次は踏み台を使った訓練。
ちょうど階段一段位の高さの踏み台が、平行棒の間に間隔をあけて置かれている。
平行棒を支えに踏み台を上がたり降りたりして、前に進んでいく練習だ。
今度は、手で体を支えられるため、さきほどより足をしっかり踏みしめている。
手の力は強いようだ。
「左で上って、右で下りて。今度は右で上がって左で下りて。」
左右の区別もつくようで、指示通りに足を上げて進んでいた。

思ったより足が動く事にびっくりしてしまった。
これは意外と歩けるようになるのは早いかもしれない。
嬉しい誤算である。

この後、すぐに作業療法士さん(OT)の所へ移動。
まず、おもり付の棒を上げ下げする腕の体操。ちょっと重そうだ。
風船でトスを100回。 これは楽しそう。
腰を使って、わなげを入れる練習。 腰がふらふらしている。

そして、ゴムをつかったトイレ訓練。
ウエストと同じサイズくらいのゴムを頭からかぶり、ウエストの位置で止める。
それをパンツのゴムと想定して、中腰になりながらひざまで下ろす練習だ。
これが、以外に難しいようだ。
腰がふらついているせいで、ひざまでゴムを下ろすことができないのだ。
それじゃ、ぬれちゃうよ。とOTさんに言われるが、
トイレを想定しているという状況が理解できていない様子。

そこで、実際にトイレに行って、練習をした。
トイレに座らせようとすると、勢いよくオシリを便器に落とす。
どうやら腰に力が入らないようで、そっと座るということができない。
トイレで立ったり、座ったり、オシリを拭いたりする動作で思ったより腰の力を使うことがよくわかった。なるほど、あの腰の感じでは、まだ自信がもてないのもうなずける。

どう、出そう?とOTさんに言われるが、「よくわからない。」と言う母。
結局、トイレに座ったけど、用は足さなかったようだ。
「自分でトイレ行きたくならない? オムツ気持ち悪くない?」
とOTさんに聞かれると「ここに来てからずっとこれだから慣れた」という母。
「一時退院はできないの?」と聞かれると「許可が下りないの。」なんて言ってる。
そんなこと聞いたこともないのに。

明日から時間をきめて療法士さんがトイレに連れて行くとのこと。
慣れたら、オムツからトレーニングパンツに移行するらしい。
まるで、赤ん坊と同じだな。

言葉のリハビリでは、発音練習のようなことをしているようだ。
もうひとつは、「頭の訓練」と母は言っている。
それはカードを見て、その名称を答える練習らしい。
これはもう終了だと言われたという。
次はもう少しステップアップするのだろう。
何をやるのかな?? そういう内容って家族には教えてくれないのかな?
看護婦さんに聞いても、「先生はなんていってますか?」と質問を質問で返される。
明確な答えは返ってこない。いったい誰に聞けばよいのやら。

部屋に戻るど、さすがに疲れた様子の母。
今日は、母にとっては過密スケジュールの日だったようだ。
「朝から風呂入って、言葉のリハビリ、足のリハビリ、手のリハビリで忙しいね。」
と言うと、昼も食べてないと言う。
それは、ウソだ。
母は、昼を食べていない―と言うことがよくある。
そのへんの記憶に関しては、まだまだ曖昧だ。

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2006年4月29日 (土)

意欲(術後47日目)

今日は、倒れた日のことを初めて聞いた。

その日、台所の電球を取り替えようと椅子に登って手を伸ばしたとき、突然、頭痛が襲ったらしい。
床に転がって頭を押さえているときに、ちょうど父が床屋から帰ってきたという。
そして、そこから先の記憶は無いそうだ。

ここまで、記憶をさかのぼって話したのは初めてだった。
それだけ、意識がしっかりしてきたのだろう。

引き出しに週刊誌が入っていた。近所のタカダさんが持ってきてくれたらしい。
会いに来てくれたとき「わかるー?」って言われたから
「わかんない。」って言ったんだなんていう。
冗談を返せるほど余裕が出てきたようだ。

理解してるかどうか謎だが、週刊誌を熱心にめくり始めた。
雅子さまと、愛子様の記事などを熱心に見ている。
細かい説明文は読んでないみたいだが、見出しを見て楽しんでるようだ。

意識の方は、日に日にしっかりしてきているような気がするのだが、
歩くほうが進まない。
「リハビリで歩いてる?」と聞くと、
先生が背中を吊ってくれて、どうにか歩くんだといっていた。
「まあ、治るんだか、どうかわからないけどね。」
まだ、歩くことに自信がもてないようだ。

「先生がリハビリやればちゃんと治るっていってたから、大丈夫だよ。」そう励ましてみるが
「そうかなぁー?」と、やや疑わしげ。
「お母さんは、本当に運がよかったんだよ。手足が動いてるんだから。」と言うと
「そうかなー、運がよかったんなら、がんばらなきゃいけないね。」
と口では言うが、あまりやる気がなさそうな言い方だった。

トイレも病室の目の前にあるのに、行く気がないようだ。
ナースコールを押せば看護婦さんが連れて行ってくれるんだよ。
と言っても、「歩けるようになれば自分で行くからいいんだ。いちいち呼び出すと、看護婦さんに迷惑かけるから。」なんて言っている。
オムツを取り替えてもらう方が大変だと思うのだが、そこまでの考えはまだないらしい。

足にクリームを塗ってあげたとき、ふくらはぎがぶよぶよになっているのを気にしていた。
「筋肉落ちちゃったからねー。歩かないと筋肉はすぐ落ちるからね。足首をまげる運動した方がいいよ。」と教えても、やる気なし。
手を添えて、1、2、1、2と掛け声をかけ、足首を動かすとやっと自分で動かし始めた。

弟の話によると、以前はリハビリ自体も嫌がっていたらしい。
リハビリの先生が迎えに来ても、行かない日があったそうだ。
それに、病院では上げ膳据え膳で、皆に世話を焼いてもらって楽だ。
なんて言っているという。
確かに、爪を切ってくれ、とかテーブルふいて。とか要望が多い。
人にやってもらえることは、やってもらいたいと思っている感じがする。
「自分で拭かなきゃね。」と言ってテーブルを拭かせたが、
なんかしぶしぶ拭いている感じだった。

まだ、術後1ヶ月半なので、体が辛いのかもしれない。
でも、リハビリは早ければ早いほど良いと聞いている。
もっと歩きたいという意欲を持ってもらいたいが、どうしたらよいものか。
むやみに「がんばれ」と励ますのも逆効果のような気がするし。
孫でもいれば、励みになるのだろうが、孫もいない。
糖尿なので、食事の差し入れもできない。
年寄りに意欲を持たせるのは、大変だ。

今度は、旅行のパンフレットでも持って行ってみよう。

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2006年4月28日 (金)

記憶の分類(術後46日目)

今日、話していて気づいたこと。
母の記憶は、時系列で整理されておらず、種類によってカテゴリー化されているらしい。ということだ。すべてではないが、ある特定の話をするとき、そうとしか思えないのだ。

病室が2Fに移動したので、先生たちが2Fまで回診に来てくれているのか聞くと
「とりあえず、ご機嫌伺いにね。たまにくるよ。」なんて言う。
「ご機嫌じゃなくて、お母さんの体がちゃんと治ってるかどうか見に来てるんだよ。良い先生に担当してもらったんだよ。眼がねをかけた50歳くらいの先生が、院長先生なんだよ。」そう言うと、
「知っているよ。あの人、ずいぶん長く病院にいるから。」と言う母。
「へ?なんで知ってるの?」 
「だって前からいたもん。」
「前って、いつ?」
「クニが生まれる前」

クニ、つまり弟が生まれる前。33年前に母は子宮外妊娠の手術を受けている。
今回の頭の手術は、母にとってそれ以来の手術となる。
どうやら、「手術をして病院に入院している。」
という33年前の出来事と、今回の出来事が一緒になって錯綜しているようなのだ。

この間も、病院が家から近くてよかったよねー。という話をしたとき、
医科歯科大と、順天堂の間に新しい道ができたからねー。
と、とんちんかんな答えが返ってきたのだ。
その時は、そうだね。と、話を合わせておいた。

でも、33年前の記憶と錯綜していると考えると話が符合するのだ。
33年前に母が入院したのは、電車で30分かかる御茶ノ水にある順天堂病院だった。
今回入院しているのは、家から歩いて5分の地元の総合病院。
でも、きっと昔の記憶の方が鮮明なのだろう。
入院している病院も、主治医の先生も、33年前と同じだと思っているのかもしれない。
そう考えると、母の話もつじつまが合うのだ。

まだ意識が弱い頃、院長先生に「あなたのお名前は?」と聞かれとき
母は、「ワタナベ」と、自分に関係ない名前を2度も答えていた。
おととい院長先生の話をしたときも、「先生はワタナベっていう名前でしょ。」母は、そう得意げに言っていた。
そのときは、また「ワタナベ」という名前が出てきたのがおかしくて、笑った。
近所に「ワタナベ」さんという人はいるが、入院前に何かあったのかなー。なんて思っていたのだ。

でも、33年前の記憶とダブっていると仮定するならば、
33年前の母の主治医は「ワタナベ」という名前だったかもしれない。なんて、思ったりもする。
まあ、父がそんなことを覚えているわけないので、確かめようもないが・・・。

「クニが生まれる前」 と言った母に
「ええええっ? そんな前から知ってるの?」と驚いてたずねると、
母も気づいたらく、ちょっとこんがらがってるみたい。と言っていた。

少しずつでもいいから、からんだ記憶の糸がほぐれると良いなー。

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2006年4月26日 (水)

2Fへ移動(術後44日目)

1Fのいつもの病室へ行くと、母の名前が消えていた。
ヘルパーさんに聞くと、昨日3Fの病室へ移動したという。

外来患者や脳外科がある1Fとくらべ、3Fはとても静かだ。
3Fはリハビリ室などがあり、急性期の患者さんもいないせいかもしれない。
病室は3人部屋で、スペースもありゆったりしている。
同室は2人のおばあさんで、自分からは全然話さない。
廊下にでると向い側にトイレがある。
これなら、足のリハビリにもなって、良さそうだ。

病室に行ったとき、ちょうど朝食を食べ終わった所だった。
おかずは、にんじんだけを残していた。
最近母は、子供に戻ったような食べ方をする。
気に入らないものは食べないとか、デザートを先に食べるとか。
「にんじんは体に良いからと、私には無理やりたべさせていたくせに。」
そう言うと、子供のように笑っていた。
以前は7分がゆだったが、普通のごはんになっていた。
母は、ごはんの量が減って食べやすいと言っていた。
まあ、分量は減っていないのだろうけど。

近所のタカダさんと、タツノさんが来たと言う。
「あー、私がわかるんだー。」と言われたらしい。
もう3回も病院に来たんだって。とちょっと不満そうに言う。

タカダさんは、まだ母の意識がはっきりしない頃に来てくれたので、
その状態と比べると、ずいぶん回復したから驚いたのだろう。
「タカダさん、ずいぶん心配してくれたんだよ」とフォローすると
「うん、2人とも泣いていた。」と言う。

手術の記憶がないことも、認識し始めたようだ。
見舞いに来る人に、手術のことを言われるせいだろう。
「ぜんぜん覚えてないから。」と、とまどっている様子なので
「そんなの覚えてたら怖いよ。覚えてない方がいいんだよ。」と言ったが、納得してくれただろうか。記憶がないことで落ち込んだりしないと良いのだが。
頭に残っている傷跡をさすりながら、少しへこんでるんだ。と言っていた。
手術した事を納得できるような、できないような、
まだまだ不思議な感じなのかもしれない。

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2006年4月23日 (日)

便秘(術後41日目)

病院へ行くと、ちょうどお母さんが「オマル」で用を足そうとしていた。

便が固くて出ない。オシリが痛い。と昨日から言っていた。
そして、とうとう今日は「トイレへ行く!」と自分から言い出した。
トイレに行きたい。と思うようになっただけでも大進歩である。

まだ、歩くリハビリをしていないので、トイレまで歩くのは危険だ。
そこで、ヘルパーさんがポータブルトイレをベッドの横に置いてくれた。
ベッドの周りのカーテンを引き、そこで母は一人でがんばることに。

少しして、カーテンから覗いてみる。
「出た?」と聞くと、「片方だけ。」と言う。
は?片方ってなんだ?
よくわからないけど、少しだけ出たんだと解釈する。
 
また少し経って覗いてみると、ベッドに顔を突っ伏している。
びっくりして「お母さん、大丈夫?」声をかけるが、大丈夫だと言う。
「あんまり、がんばらないね。」と言って、しばし待つ。

あまりがんばるのも良くないので、15分位でトイレタイム終了。
ヘルパーさんによると、卵1個分くらいの便が出たと言う。
ベッドに戻った母は、かなり疲れた顔をしていた。
術後、初めてのトイレは苦痛な体験だったようだ。

その後も肛門が切れて痛いらしく、寝ながら顔をしかめている。
「風が抜けるときに痛い。」と言う。
どうやら、「おなら」のことを「風」と言っているようだ。

おしりが痛いと母が言っていたので、父が家から痔の軟膏を持ってきて、ベッドの横のビニールに入れておいた。
母は、その軟膏を自分の指に絞り出した。びっくりして
「どうするの?それ、忘れて舐めないでよ。」と、注意すると
「まったく、人をバカにして。」と少し笑いながら文句を言っている。
文句を言ったのも初めてだ。

何時つけるの? と更に聞くと、
「今ね、チャンスをねらっているんだよ。」と言う。
は? いったい何のチャンスだろう。
そして5分くらいたった後、急にパジャマのズボンをさげた。
塗ってくれ。と私に言う。
ええええええー! 私が塗るの~?
しょうがないなー。
と思いつつ、ビニールの手袋を付けて塗ってあげた。

私ったら、母親の世話なのに、こんなにうろたえちゃって。
ヘルパーさんたちは、他人である母の下の世話を毎日してくれているというのに。
なさけない私である。しみじみ思う。

それにしても、かなり便が固いようなので、心配だ。
「水やお茶をたくさん飲むんだよ。」
母にそう言ってみるが、どれだけ自覚を持ってくれているのか。

Cup 介護用品を売っているお店で、ストロー付きのカップを見つけた。
寝ていても水分がとれるように、工夫されている。
喉が渇いたら飲むんだよ。と言っておいたが飲んでくれるだろうか。
これで、少しは水分補給できるとよいのだが・・・。


点滴をしなくなってから、水分補給は食事とお茶だけだ。
それに、寝てばかりだから腸の動きも悪いのだろう。
便秘を解消するのに、何か良い方法はないだろうか。

母の向かいのベッドに、母と同じように脳の手術をした患者さんがいる。
でも、その人は障害が残ってないようで、普通に歩いているし、
雑誌や新聞を読んだりしている。
今日の帰り際、その患者さんが私に声をかけてくれた。
「お母さん、私が病室に来たころから思うと、ずいぶん元気になられたわね。」
と言ってくれた。

とても、嬉しかった。
そうか―。毎日のように見ているから気づかないけど、良くなっているんだな。

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2006年4月20日 (木)

会話力(術後38日目)

朝、病院へ行くと母はニコニコして朝ごはんを食べていた。
そして、私が何も聞かないのに自分からどんどん話し始めるではないか!

「昨日、トンちゃんが来たんだよ。2時間くらいいてくれたかなー。
足をずっともんでくれたの。トンちゃんね仕事が変わったんだって。
場所かな、やることかな・・・・・忘れたけど、
とにかく仕事が変わったんだってさ。」

こんなに長い話をしてくれたのは初めてだ。
しかも、いつもは忘れてしまう昨日の話をしているのだ。
すごいぞ!お母さん! 
印象深い事は、記憶に残るのかもしれない。

昨日、お風呂に入った?と聞くと
「うん、入ったよ。吐かなかった。垢がすっごい出たの。」
なんだか楽しそうに話す。

花に水を上げた後テーブルの上に置くと、勝手に枯れた花を抜いている。
「ここは切っちゃった方がいいわよ。」
なんて言ってる。

向かいの人が付けているテレビを見ている。
「テレビ見る?」と聞くと、前のテレビが見れるからいいの。
と笑っている。
テレビでは「はなまるカフェ」をやっていた。
「誰が出てるの?」と聞くと「石田ひかり」と言う。
なんだか普通だ。とっても普通に話しているぞ!

ところが、日々の生活の話になると、とたんに忘れる。
食事が終わった後、いつも食事のチェック表を付ける。
「今日は何日だっけ?」
とぼけて母に尋ねると、「24日かな。」と言う。
あれれ?今日は20日なんだけどね。
日付に関しては、またわかんなくなってる。

リハビリの話をしても、なんだかはっきりしない。
歩くリハビリしたの?と聞くと首をふる。
話すリハビリは?と聞くと、うーん。
「よくわからないね。先生しか本当のところはわからないんだよ。」
なんだかもっともらしいことを言うけど、ごまかしているのがよくわかる。
でも、話をごまかすなんて高度な技のような気がするが、
どうなのだろう。

お守りがベッドの下に落ちていた。どうやら気になって自分ではずしたらしい。
マチコおばちゃんもお守り持ってきたんだって。なんて話までする。
お母さんが上げたお守りを返して、新しいお守りを買った話まで。

「そのお守りは、お母さんの手術のときに私が買ってきたんだよ。」と言うと、
ふーん。と不思議そうな顔をする。手術をしたという自覚がないのかもしれない。
後からトンちゃんに聞いたのだが、「手術の傷跡がよくなったね。」と言うと、
母は「手術はしてない。」と答えたそうだ。

まあ、頭をパッカーンと割って手術をしたわけだから、想像もしたくないだろう。
自覚がないほうが幸せかもしれない。
もう少しはっきりするまで、あえて言わないほうがいいかもしれない。

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2006年4月17日 (月)

日付復活(術後35日目)

今日は生理痛がひどく、頭痛もするので会社を休んでしまった。
疲れが出ているのかもしれない。
でも、午前中ずっと寝たら治ったので、3時半頃病院へ行ってみた。
母は、ちょうど手のリハビリ中だった。
リハビリの先生に肩を回してもらっている。

その後、手をバンザイして、下ろす。これを10回。
手を握って開く。これも10回。
お母さんすごい! 全部、ちゃんと出来るじゃない。

先生が私に気づき「誰ですか?」と母にたずねる。
「娘です」と答える母。
「お名前は?」の質問に、「アヤコ」と言う。
やった。大正解!

「今日は何日ですか?」 「17日」
「何月?」・・・・「4月です」
すごい!! ずっと言えなかった日付が言えるようになった!

「何曜日?」の質問には 「日曜日・・・」と言う。
あれ? 今日は月曜なのに。
「今日は週の初めです。」ヒントをもらうと 「月曜日」と答えることができた。
私が来たから日曜日だと思ったのかもしれない。

「今日のお昼は何を食べましたか?」・・・「おかゆ」
「他には何を食べましたか?」・・・「たいしたもの食べてないね。」
あら、お母さんったら覚えてないから、ごまかして答えてるのかしら。

次の質問は、もっと高度になっていく。
「今日は、手のリハビリをやりましたね。今までやったことあるリハビリは何ですか?」
???という顔で答える母。
「手のリハビリ、足のリハビリ、言葉のリハビリ。どれをやりましたか?」
「手のリハビリ」・・・「はいそうですね。」
「足のリハビリ」・・・「足はやったかな???」
「言葉のリハビリ」・・・「はいそうですね。」

昼食とリハビリについての質問は、最近の記憶を確かめるための質問だ。
まだ、母には難しかったようだ。
でも、日付が言えるようになっただけでも、大進歩である。

先生が帰った後、私が飲んでいるお茶を見て手を伸ばす。
「飲む?」と聞くとうなずくのでコップにお茶を入れてあげる。
今日は暑いから母も喉が渇いているのだろう。でも、自分からナースコールを押してお茶をください。とは、まだ言えない。
お父さんに飲み物あげてね。と言っても、あまり気が利かない様子。
これから暑くなるから、水分が少ないと血液がドロドロになってしまう。
ちょっと心配だ。

「タカシ君、岩舟にゴルフ行ったんだって。」という話をすると、
「へー」と興味がある様子。
岩舟は、母の生まれ故郷の近くなのだ。
岩舟が一番近くて、次に佐野、次は・・・・など、生まれ故郷の地名は明確に覚えている。
「プロになりたいらしくてさ、夢中なんだよ。」と言うと、母も笑って
「もうその年じゃ、プロは無理だよ。」と言う。まったくその通り。
「でも楽しいみたいよ」と言うと、「楽しみがあるのは良いことだ」なんて言っている。
こういう会話は、まとも。

昨日、活けた花瓶は瀬戸物だったのでちょっと心配だった。
ベッドを頻繁に移動するし、母の言うように地震でも起きたら落ちて危ない。
代わりに「かご型」の花瓶を持ってきて花を植え替えた。
そういえば、この花かごも、瀬戸物の花瓶もマサミからのお見舞いだ。
・・・・なんだか病気ばかりしているようで、なさけない。

花を挿していると、母も気になるらしい。
これはもう少し短く。これはもっと後ろに。など指図する。
出来上がった花を見て、「いい感じになったね。」と満足そうだ。

目の前にある物に対しては、わりとまともな受け答えや反応ができる気がする。
でも、目の前にないと忘れてしまう。何もできなくなってしまう。
そんな感じがする。

今日の朝食を食べたかどうか。
お父さんがお昼に来たかどうか。
弟が毎日来てるかどうか。
そういうことは、忘れてしまうのだ。

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2006年4月16日 (日)

消える記憶(術後34日目)

今日、マサオおじさん達が来てくれたらしい。

その前情報を基に、「今日誰か来た?」と母に聞くと、「来ない」と言う。
また忘れたのかと思い「マサオおじちゃん来た?」と、名前を出して聞くと
「来た。マサオとアイコちゃんと、タメちゃん。3人で来た。」と答える。
ほんの数時間前のことだ。やはり覚えていた。
それに、マサオおじさんに会うのは半年ぶりくらいだから、嬉しかったに違いない。

その点、私の夫などは、しょっちゅう会うので、新鮮味がないのだろう。
父の報告によると、母は昨日私と夫が来たことを覚えていないらしい。
あんなに話して笑ったりしたのに、忘れちゃったんだ。
「昨日、タカシ君来たんだよ。」と言っても、「うーん。」と首をかしげている。
「忘れちゃったの?」と聞くと、
「うーん、寝てるんだか、起きてるんだか良くわからない。」と言う。

なるほど、母はまだ、眠りと覚醒がはっきりしていない状態なんだ。
例えば、夢を見た直後は内容を覚えているけど、少し経つと忘れてしまう。
そんな状態なのだろうか。

おじちゃん達が、生花を持ってきてくれたが、置く場所がなかったのか父はゴミ箱に入れていた。なんて失礼な。ちょうど、実家からオアシス入りの花瓶を持ち帰っていたので、それを使って花を挿すことに。
生ける位置を母に確認しながら花を生けた。
水に入れたら元気になってきた花を見て、「元気になってきたね。」と母も喜ぶ。
花瓶が瀬戸物なので、「地震で落ちてこないかな?」なんて心配している。
母は昔から地震に対する恐怖心の強い人だ。
そういう恐怖心は、以前と変わらず持っているのだなと感心する。

6時近くになり、夕飯のお茶が来た。
母が起きると言うのでベッドを起こしてあげると、お茶を飲み、昼食に残してテーブルにおいてあったバナナをもぐもぐ食べていた。
バナナを食べた後、看護士さんが血糖値をはかりに来た。
しまった。バナナを食べてしまった。でも、看護士さんは、まあ大丈夫ですよ。とのこと。
そして測定。食前血糖値125
そして、インシュリンのような注射も打っていった。
やはり糖尿が悪化しているのだ。
食後、また測りに来ますね。と言って看護士さんは出て行った。
その後、やってきた父とバトンタッチして帰ってしまったので、食後血糖値はわからず。

ちょっと心配。

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2006年4月15日 (土)

他人の刺激(術後33日目)

今日は夫と車で病院へ行く。
先週、夫は病院に来れなかったので、母の姿を見るのは2週間ぶりだった。

「あれ、お母さん!すっごい元気になりましたね。顔色もすごく良いですよ。」
2週間前に比べると、母はすごく元気になったと言う。私は毎日のように見ているからわからないかもしれないけど、すっごく元気になってるよと興奮した様子で言う。
「あら、じゃあもう退院できるかな。」なんて、母も調子に乗って言っていた。
退院したい。なんて気持ちが出てきたのは嬉しいことだ。

土曜はお風呂の日。でも今日は吐かなかったと言う。
風呂上りなので、顔に肌水。手と足にクリームを塗ってあげる。
マサエさんが送ってくれた花が届いていた。
これは何の花だっけ?とぼけて聞くと、「バラ」「ガーベラ」「カーネーション」と花の名前も言えるようになっていた。
せっかくなので、母のベッドを起こして、もらった花と一緒に母の写真を撮った。
実は、このとき母は眠くて、起きたくなかったらしい。
後から来た弟に「おねえちゃんに起こされた」と、不満を言っていたそうだ。

いつも私や父や弟が来ても、だらーっとしている。
家族だから、特に緊張することもないせいだろう。
ところが、やはり夫は母にとっては他人。やはり気を使うのだろう。ちゃんと見せなきゃという意識が働くに違いない。いつもより目も輝き、ちゃんと話そうとしていた。

「リハビリは何やってるんですか?」と夫が聞くと
「絵を見て・・・・・・。その話をする。あと・・・・・・」
といった感じで、一生懸命説明しようとしていた。
私や弟が聞いても、面倒くさいのか「うーん。」と考えて終わってしまうのだ。
やはり、ある程度緊張感のある見舞い客は大切だ。

夫は、営業職なのでいろんな事を言って母を笑わせてくれる。
「この間、昼間家に帰ったら、イチ(犬)が留守中に一人でテレビ見てるんですよ。すっごいびっくりしちゃった。ソファーにあるリモコンを自分で押しちゃうみたい。イチはテレビわかるみたいですよ。」なんて話をすると、母はゲラゲラ笑っている。
笑うのは良い事だ。

以前持っていったコージーコーナーのケーキのチラシを夫と見ていると、母も興味があるらしく、チラシをじーっと見続けていた。
やはり、花より団子。
食べ物には、一番興味があるようだ。

その後、弟も来て3人の見舞い客で、にぎやかになり、母はどことなく嬉しそう。
大人数で育った母は、たくさんの人に囲まれているのが好きな人だ。
なんか満足そうに見えた。

でも、私たちが帰った後は「疲れた」と言ってすぐに寝たらしい。
そう、私たちに起こされたのことを不満気に弟に言っていたのだ。
でも眠くても他人がいると、しっかりしようとする気が起きるだけでも進歩だ。
「ええかっこしい」の母の性格が、幸いしている気がする。

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2006年4月13日 (木)

まだオムツ(術後31日目)

今まで母の尿は、カテーテルから自動的に取られ袋に溜めてチェックされていた。
便の方はオムツをあてていた。
火曜日に、尿カテーテルとオムツが取れたと父から連絡があった。
いっぺんに両方取れるなんて、すごい進歩だ! 
お母さん、トイレに行けるほど回復したんだ!と大喜びだった。

ところが今日、母に自分でトイレに行ってるの?と聞くと、首を振る。
まだオムツ? と聞くと、うん。と答える。
なんだ。やっぱりまだトイレは無理なんだな。

弟によると、トイレに行きたいときはナースコールを押すように言われているという。
でも、まだトイレに行くという感覚が戻らないのだろう。
自分から、ナースコールを押すことはできないようだ。
そんな、急に何でもできるようになるわけではないのだ。
あせらない。あせらない。

今日は、携帯の写真で撮った桜を見せてあげた。
「あー、綺麗だねー。」と言う。
携帯に入っている他の写真も見せると、
「あ、タカシくん。イチ。」
私の夫と、犬の名前は、すぐに出てきた。
一時は私の名前すら言えなかったのだ。少しずつ進歩はしているのだ。

自宅でパンを焼いた時に撮った写真も見せた。
焼いたところ。焼く前。こねているところ。
次々に出てくるパン作りの様子を楽しそうに見て、笑っていた。

私が眼がねをかけた写真を見せ「これ誰だ?」と聞くと
「わかんない」と言う。
え?と思って顔を見ると、ニヤニヤ笑っている。
どうやら、私をからかったみたいだ。
「老眼鏡、買ったんだよ」と言うと、へえーと笑う。

入院してから、母の手がしわしわになっていた。母も気になるのかしきりに自分の手をなでていたので、ハンドクリームを持ってきて塗ってあげた。
一時期よりも手に張りが出てきたようだ。皮膚も回復しているようだ。

昨日はお風呂の日で、また風呂で吐いたらしい。
そのことを言うと。今回は覚えていた。
なんでだろうね。
なんて、自分で言っている。

少しずつでも、進歩が見られると嬉しい。

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2006年4月10日 (月)

母らしさ(術後28日目)

少しずつではあるが、母らしさが戻ってきた気がする。

母は、自分のことよりも人のこと、周りのことが気になる性格だ。
病院での食事中も、じーっと周りの人をながめている。

今日、隣の患者さんが「すみません。」と、助けを呼んでいたとき、母はすぐに反応して、首を大きく曲げて「どうしたの?」という顔をしていた。
実際には、母の代わりに、私が隣に行ってベッドを起こしてあげたのだが、今までにはなかった反応だ。

向かいの患者さんのベッドの下に新聞紙が落ちているのを見つけて
「あれ、看護婦さんに言わないと。」と気にしていた。
その後も、看護婦さんやヘルパーさんが、患者さんの食事の上げ方や、お世話の仕方を話しているの姿を、母はじっと見ながら聞いているようだった。

病気をする前の母なら、隣の人にはすぐに手を貸し、落ちているものはすぐ拾い、看護婦さんには礼をつくし、気を使う。そういう人だ。
少しだけ、母らしい性格の兆しが出てきたようだ。

話しているときの内容もずいぶん良くなった。
今までは、何を聞いても首を縦に振ったり、横に振ったりするだけ。
あるいは、ふーん。 へー。 わかんない。だけだった。

それが、具体的な文章を言うようになってきた。

「今日は少し寒いんだよ。桜も散ったんだよ。」というと
「花曇だね。」なんていう言葉が出てくる。

「これから何するの?お昼ね?」と聞くと
「何もすること無いからね。」とあきれ顔で笑う。

「ヒデコ姉ちゃんね、キミエの運転が心配で、すぐ横で口出すから、キミエはうるさくてしょうがないんだって」と、笑って話すと
「あぶないからね。」と諭す。

「昨日、クニにチャーシュー作ってもらったんだ。ちゃんと糸でしばってあるの。
おいしかったよ。お母さんの料理も美味しいけど、クニの料理もおいしいよね。」
弟が作ってくれたチャーシューの話をすると
「そうだね。又違った味でね。」と、具体的なことを言う。

「髪の毛ボサボサだから。リボンつけようか。」と、母の髪の毛をとかしてあげる
「ピンクのリボンがいい?」と言うと、大笑いしている。

「じゃ、そろそろ行くね。」と、帰ろうとすると
「今日は午後から?」と聞く。
「ううん、これから行くんだよ。いってきます。」と言うと
「いってらっしゃい。また来なね。」

この帰るときのあいさつ、いつも実家で母と交わす言葉と、そっくりそのまま同じだった。

今日は、本当に反応が良くて嬉しかった。
ひさしぶりに、母と話ができた気がした。

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2006年4月 8日 (土)

隣が気になる(術後26日目)

おかあさん!
と声をかけるが、ちょっと顔を見てすぐに横を向く。
昨日に引き続き、あまり反応が良くない。
やはり、検査の影響で意識が後退している気がする。

母は眠そうで、目を閉じたりするのだが、隣の患者さんの話声が気になるらしい。
いつも感情的になる隣の患者さん。
今日は、隣の患者さんの息子さんが来ていた。
「見て、お兄ちゃん。指が動いたわ。うっうっ。」
またもや感情的になり、泣いている。

母は、その様子を感じ取っているのか、寝てもすぐに目を開けて落ち着かない様子。
隣のカーテンをじっと見ている。
この環境はなんとなく良くないような気がするが、仕方が無い。
隣の話が聞こえないよう、音楽を聞かせてあげると心地良さそうに眠りについた。

今日は、いとこのコイチ兄さんが来てくれた。
「今年で59歳になるんでしょ?」と母は言っていたという。
自分の年は言えないのに、コイチ兄ちゃんの年はわかるんだね。
自分より人のことが気になる性格だからね。
まったく、お母さんらしい。

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