2006年4月 7日 (金)

造影検査(術後25日目)

血管造影検査の結果は、異常なしだそうだ。
よかった。
これで第一段階が、終わった。
本当に今まで大変だったけど、お母さんよくがんばったね。
幸い、手足に麻痺も残らずこままでこれた。
この幸運に感謝したい。

検査後、お母さんの手が板で固定されていたことに、父はとても驚いたそうだ。
造影検査では腕からカテーテルを通して、造影剤を流すため患者が無意識に腕を動さないよう固定するのだ。
とても当たり前の理由だと思うのだが、父は見たままで判断する人なので心配になったのだろう。
それに、検査中は睡眠薬で眠らされていた。
そのせいで検査後もいびきをかいて寝ていたという。そのことも心配していた。
今日は寝たきりで、ご飯もあまり食べないんだ。
と、しょぼんとした様子。

心配すべき所で心配せず、安心な所で心配している。
まったく意味が無い。
でも、どうしようもなく心配なのだろう。

それにお父さんは、昨日の先生の話で落ち込んでいたらしい。
もっと早く良くなると思っていたようだ。
こうして麻痺もなく助かっただけでも幸運なのだ。
その事が全く分かっていない父。

父は、よく食べて、よく寝れば病気は治ると思っている人だ。
でも、母の病気は脳だし、しかも糖尿も出てきている。
よく食べてはいけないのだ。
その辺のところがどうもうまく理解できないようだ。

いろんなことが彼の理解と限界を超えているようだ。
大変なのはわかるけど、お父さんもう少し頑張らないと。

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2006年4月 6日 (木)

担当医の話(術後24日目)

夕方の5時半から先生から話があるとのことで、早退して5時頃病院へ。
母の病室へ行くと、「今日はヒデコとマリエが来た。」と自分から話す。
きっと、嬉しかったのだろう。
やはり、自分の好きな人が来ると反応が良い気がする。
「昨日、風呂入って吐いちゃったんだって?」と聞くと
少し考えて、「わかんない」と言う。覚えていないらしい。
でも、いままでは条件反射で、「わかんない」と言っていたが、今日はちゃんと考えてから「わかんない」と言っていた気がする。

その後、父と弟がきて一緒に先生の話を聞く。
母のCTを見ると、左前頭葉が白く映っている。少し血が残ってるということだ。
ここは知的なことをつかさどる部分で、ときどき、お母さんがとんちんかんな事を言うのはこのため。でも、半年くらい経てば僕は消えると思います。と若先生は言う。

そして、クリップ手術の経過を見るため、明日再びカテーテルを入れ造影剤を流し込んで血管撮影検査をする。その同意書にサインするために呼ばれたようだ。
そして、この検査で異常がなければ、とりあえず第一段階は終了。
家で面倒見る人がいれば退院してもよいという。
え~っ? そんな無茶な。 
まだ歩いてないし、トイレも管で取ってるんですけど。
「いえ、家ではひとりなので。」と、すかさず答える。
すると「はいわかりました。一人では危険なので、病院でリハビリなどをしながらしばらくやっていきましょう」とのこと。
あー、よかった。ほっと一安心。

水痘症については、まだその症状は出ていませんとのことだった。
あと、持病の糖尿が出ているとのこと。
持病が悪化する恐れがあると、手術前に言われていた。
やはり。という感じ。
今日は、食後に薬も配られた。

その後、病室に3人で行くと、母は一人でちゃんとご飯を食べていた。
フルーツやおかずを先に食べてしまい、ご飯が残っていたので
まだ残っているおかずをご飯に乗せてあげた。
それを見て父は。さすが女の子だな。とか言ってる。
その後、薬を飲み、歯磨きをした。
だいぶしっかりしてきている。

母は、私が手に持っていた同意書に気づき、いきなり奪い取った。
自分の病状が気になるのだろう。
でも印刷された病院の文字しか読めないようだった。
「明日検査なんだって。心配しなくても大丈夫だよ。」と言っておいた。

その後、弟が「口の体操」だと母と一緒に「あいうえお」と声に出して繰り返した。
一生懸命「あ・い・う・え・お」と言う母。
その後、手の体操も兼ねて、親子4人でじゃんけんをした。
ちゃんと、じゃんけんも出来た。
母が元気なのが嬉しくて、少しはしゃいでしまう。

あのお向かいの犬のいる家って何て名前だっけ? 
と聞くと、うーんと考えて違うの名前を言う。
名前を出すのは、まだ難しいようだ。
「そこのオジサンから「にじます」たくさんもらったんだって。」
あらあら。
「マサエさんが来週花送ってくれるって。」
あらあら。
以前の母と同じような反応が返ってくる。

自分の手がしわしわになっているのが気になるのか、しきりに手をなでている。
確かに手はしわしわだが、顔つやはよい。
頭を切って皮膚をひっぱったため、しわが消えたのだろうか?

明日の検査さえ良ければ一安心だ。

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2006年4月 4日 (火)

自分で食べる(術後22日目)

朝ごはんの時間に初めて病院へ。
ちょうど院長先生が回診中。
「おはようございます。頭痛くないですか?」と聞かれると
母は「だいじょうぶです。」と答えている。
そのほかの質問はなく、そのまま出て行った。

母は、すでに点滴をつけていなかった。
父が昼間いったときはつけていたというから、徐々に減らしているのだろう。
明日から言葉のリハビリが始まるらしい。

食事は、五分がゆ、味噌汁、野菜の炒め物。おしんこ。卵豆腐、ヨーグルト。
おかゆに野菜やおしんこを混ぜてあげると、味がついて食べやすいようだ。
味噌汁もこぼさずのむことができる。
自分で茶碗を持ちスプーンを使って食べることができる。
最初にヨーグルトが食べたいと言ったが、食後にしようね。といい後回しに。
卵豆腐が口当たりがよいのか食べやすそうだった。
おかずはほぼ完食。ごはん半分くらい。その後もヨーグルトとお茶をのんだ。
ゆっくりだが、ちゃんと食べられる。
安心した。

受け答えも先週に比べると、わりとまとも。
食事が終わってこの後、何するの?と聞くと
「この後はお昼寝の時間です」と、ちょっときどって答える。
「体拭いてくれるのかな?」と聞くと首を振る。
「先週。お母さんお風呂入ったんだよ。」と教えると
へえー、なんて驚いている。
ヨーコちゃんがパンツ20枚も洗ってなかった話をすると
少し笑う。
ヒデコ姉があさってくるよ。浅草いくの2回目なんだって。
また「へえー、そうなんだ」なんて答えていた。

マーちゃんにもらった花を見せながら、
これは?アネモネ。これは?チューリップと答えることが出来た。
ただし、カーネーションのことをコスモスと言っていた。
普段でもありそうな間違えだ。

ときどき、どこか遠くを見る目をしてボーっとしてる。
「お母さんどこ見てるの?」と聞くと、はっと我に返るようだ。
周りの様子も興味深そうに、じろじろ見ている。

隣の患者さんがいつも泣き言をいっている。
今日分かった事だが、隣の患者さんは手足が動かないようだ。
これじゃ生き地獄よ。
とヘルパーさんに嘆いていた。
泣き言を言うのも無理は無い。
なんともやりきれない気分になる。

母の向かいのベッドの患者さんは左目が閉じたままだ。
食事中なのに、暗い感じの部屋だった。

でも、母は元気になってる気がする。
すこし気持ちが軽くなった。

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2006年4月 2日 (日)

ヒロミ姉の見舞(術後20日目)

夫と病院へ。
ちょうどいとこのヒロミ姉と娘のマーちゃん、ヨーコちゃんが来てくれた。
また、部屋が移動していた。
ナースステーションから一番遠い部屋だ。
それだけ、元気になってるってことだろう。

母は今日も眠そうだったが、みんなが来てくれたので寝ることはなかった。
今日は、79歳と言っていた。
みんながベラベラ話すのをぼんやりと聞いている様子。
お正月に撮った写真持ってくればよかった。とヒロミ姉が言うと
「マシして」と母が言う。 はて? マシして?
するとヒロミ姉がすかさず 「わかった。焼増ししておくよ。」と答えている。
すごい。なんでわかるの?
「大きく引き伸ばしもしておくから。」と言っていた。
お正月やお盆に、親戚で集まるのをいつも楽しみにしている母。
楽しい思いでの写真を見たいのだろう。

ヒロミ姉も、いつもおしゃべりな母が話せないので、調子狂っちゃうと言っている。
いつもはうるさすぎて黙って!なんて言ってるんだから。
マーちゃんが、お花を持ってきてくれた。
母は、私が持ってきたときは無表情だったのに、喜んでいた。
やはり、刺激は必要だ。
帰りは、車で駅までみんなを送った。
無農薬の野菜もいただいた。どうもありがとう。

明日からリハビリが始まるらしい。
よかった。

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2006年4月 1日 (土)

初風呂で吐く(術後19日目)

今日も眠そう。
「おかあさん。」と声をかけると、目を開けるがすぐに寝る。
以前、時間を気にしていたので、時計をテレビの上に置くと
「いらない。持ってかえって。」と言う ―。
なぜだろう。

看護婦さんが血圧をはかりに来た。
「今日はお風呂に入って、その後吐いちゃったんですよ。」と言う。
なんでも車椅子で座りながら入る機械風呂だという。
「へえー、お母さんお風呂ですっきりしてよかったね。」と声をかけるが相変わらず眠そう。
風呂へ入れるほど、体は回復してるのだろうか?
でも、吐いちゃったって、大丈夫なの???

音楽を聞かせたり、花の本を見せたりするが、あまり反応せずやはり眠そう。
ときどき頭をおさえて痛そうな顔をする。
「痛いの?」と聞くと、うなずくが、すぐに眠そうな顔になる。

向かいのおばあさんが、「ちょっと、おねーさん、おねえさん」と言っている。
どうやら私を呼んでいるようだ。
近くへ行くと「おこししてくれない?」と言うので
「ちょっと待ってください。」といって看護婦さんを呼んであげる。
95歳の元気なおばあさんである。

お母さんは、ごはんを食べるとき、一応自分でスプーンを持つが
うまく扱えないので、すぐに茶碗から直接食べようとするらしい。
そして、口の中が一杯なのにさらに食べようとする。
典型的な、ボケの食べ方。と弟は言う。

そうなんだ。
はやく気づいてくれるといいな。

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2006年3月31日 (金)

大部屋へ移動(術後18日目)

病院へ行くと、母はいつもの病室から奥の6人部屋へ移動していた。
チョッと狭いが窓際で明るいベッドだ。明るい場所に移れて、よかった。

今日も眠そうな母。
手袋は、はずされている。

「明るい部屋でよかったねー。」と声をかけるが、うーん、という感じであんまり反応なし。
「昨日、Tさん来た?」とオバサンのことを聞くと、
ちょっと考えて「来た。」と言う。
覚えているようだ。

花の話をして、「お母さんはどんな色が好き?」
と聞くと、「どんな色ー。」と考えるが出てこない様子。
ピンク? 黄色? 青? と聞いても答えはない。
「お母さんは青かな?」と誘導するが、あまり反応なし。

シュンちゃんが行く高校は私立だけど、文武両道でよい学校なんだって。
ただパパもお兄ちゃんも国立で、私立行くのはおまえだけ。と言われるのが嫌みたいよ。
という話をすると、少し笑う。
具体的な話をした方が反応するようだ。
ネタを仕入れておかないと。

看護婦さんが来て、血圧や検温をする。熱なし。血圧130でちょうど良い。
心電図も問題ないのではずしましょうねー。といって胸に貼ってあったシールみたいなのを取り外してくれた。
点滴も栄養剤と抗生剤だけになっている。
体は回復してるんだ―。

でも質問タイムになると、相変わらず。
名前は言えたけど、年齢は29歳だった。
「私より若いじゃない。」と、からかうと、
看護婦さんも「私よりも若いよ。」と調子を合わせてくれた。
場所はと聞かれると、「ナカニシ」と答えていた。ナカニシってなんだろう。
「頭痛い?」と聞かれると「痛くない。」と答える。
「さっき痛いって言ってたじゃない。」と、母に言うが首をふる。
看護婦さんは少し笑って、
女の人は我慢しちゃう人多いんですよねー。
男の人は、けっこうイタイイタイ言うんだけどねー。
あらそう。救急車呼ばないで来たんだ。
あまり重症じゃない人ほど救急車で来るんですよね。
と言っていた。

用が済むと、すねた子供のようにすぐに布団をかぶってしまう。
来週あたりからリハビリも始まるからねー。がんばろうね。と言われる。
そうなんだ。リハビリできるんだ。
少し嬉しくなる。

また、少し音楽を聞かせると少し調子をとっている。
心地良さそうに寝りに入る母。でも、私はつまらないんですけど。

ここ何日か私が話しかけても、あまり気の無い返事。
大きな声もでない。
でも看護婦さんや先生がくると、ちゃんと「はいはい」言っている。
なんとなくやる気がなくなってる感じ?
何かお母さんにとって刺激になることはないだろうか?

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2006年3月30日 (木)

音楽を聞かせる(術後17日目)

病室へ入ると、母はヘルパーさんに爪を切ってもらっていた。
フィリピン系のヘルパーさんだ。
家族がいない間もこうして母の面倒をみてくれる。
ありがたいことだ。
切り終わると「ありがと・ございましたぁー」と独特の発音で挨拶をしてくれた。
私も「ありがとうございました」とお礼を言う。

今日も余り反応がなく、眠そうだったので、持っていったMDを聞かせることに。
「ハナミズキ」を聞かせると音楽のリズムに合わせ少し首が動いている。
ちょっと楽しそうだ。
少しすると、看護婦さんが血糖値を測りにきたので、
音楽聞かせても大丈夫ですか?と聞くと
「どうぞ」と言う。よかった。

ヘルパーさんに頼まれたスプーンとフォークをテーブルに置く。
昨日、スーパーでケース入りのお弁当用スプーンを探したが、小さいスプーンばかりで丁度良いサイズのものが見つからなかった。
結局駅ビルの雑貨屋で見つけたスプーンとフォークを買った。
ケースはないが、手持ちが太く持ちやすそう。
それにオレンジ色の水玉柄が気に入った。
色がカラフルな方が刺激があって良いかもしれない。

父によると、右の手の方が少し弱いと言う。
自分でも食べるのだが、力が上手く入らず、こぼしながら食べるようだ。
でも自分で食事をするのは、リハビリになるから良いのだろう。
今度朝食の時間に合わせて行ってみようかな。

今日は、実家によって薬をもらったりしたので時間がなく
30分くらいで引き上げる。
じゃ、と手を振るって病院を後に。

昼間、近所で一番ひたしいオバサンが病院へ来てくれたらしい。
まだ、面会はできないと言っておいたのだが・・・・・・。
心配してくれるのはありがたいが、もう少し待ってくれてもよかったのに。
しかも、看護婦さんに「お菓子の詰め合わせ」まで持っていったという。
父に、ダメよお菓子くらい持っていかなきゃ!と言ったそうだ。

最近、どこの病院でも贈り物などは受け取らない方針だ。
そうは言っても、人によっては持っていかないと気のすまない人もいるだろう。
でも、何の断りもなしに勝手に持っていくとは、驚いた。
そのオバサンは、昔から贈り物好きな人だ。
良い人なのだが、やりすぎだ。

夕方の回診で、母は自分のことを「平野レミ」と言っていたという。
オバサンが来た影響に違いない。
たしかにオバサンの雰囲気は、平野レミを年取らせた感じに似てなくもない。
母の意識レベルはまだ低いが、その関連付けに妙に関心してしまった。

でも、まだまだ混乱しているのだ。
そんな段階で来られても困るのだ。

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2006年3月29日 (水)

点滴減る(術後16日目)

病室に入ると、右端のベッドにいるおじいさんが雑誌のようなものを読んでいた。
「こんにちは。」と言うと、「ごくろうさま。どうぞ椅子を持っていってください。」
と普通に言う。
チョッと前まで、目がうつろで全然話せなかったのにすごい良くなっている。
いいな。うらやましくなる。

母は今日も眠そう。
「おかあさん!」と声をかけるとチョッと目を開けて、またすぐ閉じる。
やることがないので花に水をあげたり、買ってきたビニールのエプロンを出したり。
すると、点滴がピーピー鳴り出して、母も目をさます。
看護婦さんが来て点滴を見て
「あれ?おかしいなー。」などと言いながら、点滴の設置を直している。

よく見ると、点滴の袋が減っている-。
今まで、ずっとあった黄色い注射液のような点滴が消えている。
あれは、血圧の薬だったはずだ。
もう血圧をコントロールしなくても良くなったのだろうか。

点滴をチェックしてる看護婦さんに、「どのくらい入院するんですかね?」と聞いてみた。
「そうですね。症状や容態によってずいぶん違うんですよ。
でも、お母さんは麻痺もないし、ごはんも食べられるしね。
まだ、手術したばかりだからね。」
大丈夫ですよ。そんな心配しなくても。と言っているような答え方だった。
先生の回診の頃に来て、聞いてみるよいいですよ。とアドバイスをくれた。

サトシ兄ちゃん、昨日北海道帰ったんだよ。
帰る前に奥さんとさんと表参道ヒルズ行ったんだって。
すごい変わっちゃったから、浦島太郎みたいだったって言ってたよ。
浦島太郎のくだりで、母は少し笑ってくれた。

帯広は札幌から3時間も離れてるんだって。
東京なら飛行機で30分だから、北海道返るより東京にいた方が近いね。
と言うと、なるほどという顔をしてうなずき、何か言うが聞き取れず。

シュンちゃんが、公立落ちて私立の高校行くんだって。
私のダンナの家系に似ちゃったね。って皆に言われているんだって。
と言うと、また笑う。
冗談を言っているのは、わかっているようだ。

すしのチラシを見せたり、イチゴのケーキのチラシをみせる。
どのケーキがいい?と聞くと
「どれがいいかー。」と真剣に悩む母。
「すし食べたいねー。」と言う。

持ってきた花の話をすると、「何の花?」と聞くのでチューリップだよ。
と答えると、チューリップか・・・。と言う。
お母さんはどんな花が好きなんだっけ?と聞くと
お母さんはねー、・・・・・・と、考えているがその先が出てこない。
「小さい花が好きなんだよね。かたくりだっけ?」と聞くが
「うーん。」って感じでちょっと違うみたい。

少しするとまた眠そうにしているので、帰ることに。
じゃ、また来るね。会社行ってくるね。とい手を振る。
今日は、声は余り出ていなかったが、まともな会話ができた気がして嬉しかった。

夕方弟から電話。
また、ブツブツ同じ事を繰り返していた。
僕は誰?と聞くと「アヤコ」と私の名前を言ったという。
隣のカーテンが閉まった瞬間に「ヤバイ、ヤバイ」と繰り返していたと言う
姫しょうがが食べたいとも言っていたらしい。

一日の中でも波があるようだ。

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2006年3月28日 (火)

血管れん縮、回避(術後15日目)

病院へ行くと、ちょうど若先生が回診中。
「2週間過ぎましたが、脳梗塞はおきませんでした。
ちょっとね血管が細くなってるので、わけわからなくなっちゃってるけどね。
これからも様子を見ていかなきゃいけない。
いえ、失語症とは違いますよ。わかっているけど言葉が出ない感じかな。
そうですね。ボケみたいな症状は少し残るかもしれないし、直るかもしれないし。
まだわからないです。
脳血管れん縮は起こらなかったので、良かったですね。」

ああ良かった。脳血管れん縮は起こらなかったのだ。
血管は多少細くなったのかもしれないが、脳梗塞は起きなかった。
最悪な状態はまぬがれたのだ。感謝。
先日の院長先生は、もう1週間くらい様子見と言っていたので、ちょっと話が違うけど、
心配しなくても良い状態になったのだろう。
そう、良い方向に解釈する。

「お母さん」と呼ぶと、少し目を開けるが反応が弱い。
お花持って来たよ。と見せても、あまり反応がない。
喜んでくれるかと期待してたので、少しがっかり。
今日は、ほとんど寝ていた。手術後、覚醒してからいままでで一番話さなかった。
なんだか症状が逆行しているようで哀しくなる。

看護婦さんに食事用のビニールエプロンを持ってくるよう言われる。
父と弟によると、食事はガツガツ食べているらしい。
体の回復と、意識の回復は、比例しないのだな。

帰りに、ビニールエプロンを買って、会社へ。
弟が夕方行ったときには、少し話したと言う。
弟の名前も言えたらしい。よかった。
チューリップ、バラ、キクなど花の名前を教えたそうだ。
母の体調は、良い日もあれば悪い日もある。いちいち落ち込まないようにしよう。

サトシ兄ちゃんが、今日で北海道に帰るとのメールをもらう。
「大変だろうけど、がんばって。みんなついてるから。」
メールを読みながら、なんだか泣けて泣けてしかたがなかった。

先生によると、これからは、どんどん刺激を与えてくださいとのことなので
バラバラにみんなに来てくれよう、ヒデコ姉ちゃんにお願いをする。
春休みなので子連れで行くと言ってくれた。
ありがたい。

ヒデコ姉ちゃんは、母が倒れてから毎日のように電話で私の話を聞いてくれた。
話を聞いてくれるだけで、とてもありがたかったし、救われた。
でも、よくよく考えてみると、おばちゃんもずっと病院暮らしなのだ。
脳梗塞になってから、ずっと大変な状態だった。
それなのに、その大変さが全然わかってなかった私。
家族が病気になって、わけわからなくなることがこんなに辛いとは。
自分が体験しないとわからないなんて、私も相変わらずおめでたいよ。
ヒデコ姉ちゃんは、ずっと頑張ってるんだな。
しみじみ思った。

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2006年3月27日 (月)

元気がない (術後14日目)

病室に行くと、今日も点滴の種類は減っていない。
ちょうど婦長さんらしき人が血圧を測定しに来ていた。
挨拶をして病室に入る。母は寝ていた。
「お母さん」と声をかけると目をあけて少し笑う。
「おはよう。」と言っても、返事はない。

今日はあまり元気がない。
婦長さんに「娘さん?」と聞かれたので、そうだと答えると
「娘さんが来てくれたのね。あの人は誰?」と母に聞いている。
母は「娘」と答える。
「娘さんの名前は?」と聞かれると「長女」
「お名前は?」 「長女」
「じゃ、あなたの名前は?」 「長女」

婦長さんは、少し興奮した様子で「娘さんのことを長女って言ってるわよ」
とナースステーションで報告している。
おそらく、今日の質問にはあまり良く答えられなかったのだろう。
長女と答えられたのは、良かったのかもしれない。

じゃ、娘さんと少しお話しててね。と婦長さんは出て行った。
今日は何食べたの?おかゆ? と聞くが
うん。とうなずくくらいで、あまり反応はない。
そして、ぶつぶつと意味不明のことを言っている。
発音がクリアでないので、言葉自体も聞き取れない。

何か反応してくれる事を話さなきゃ。と思い
私の家のコデマリの植木鉢を花壇に置いておいたら根っこが生えちゃって、
植木鉢が動かなくなっちゃったんだよ。
と話すと声を出して笑う。
やはり、自分の好きな花の話には興味があるようだ。

そのうち、またブツブツと言っている。
よっぽど、よっぽど、と言い出したのでよく聞いてみると
よっぽど悪いんだね。よっぽど悪いんだね。と言っている。
自分のことを言ってるのだろうか。
「大丈夫だよ。先生大丈夫だって言ってからすぐよくなるよ。」
というと、少し納得した様子。

「渡辺さんが、ブツブツブツブツ」また、渡辺さんのことを言っている。よ
ほど気になるのだろうか。
「さささささ」「そそそそそ それ」などと言い続ける。
少し不安になる。

父が夕方行ったときはご飯を食べたらしい。
弟が行ったときも、ブツブツ言ってるだけで、あまり元気がなかったという。
夫が営業の帰りに寄ったときも、認識はできたものの、やはりブツブツ言い続けていたという。

だんだん、単語が出なくなってきている。反応も良くない。
血管が縮んでいるのだろうか。心配だ。

看護婦さんに聞いて、花を持っていってよいか許可を得た。
帰りに、祈るような気持ちで花を買った。
お母さんの大好きな花。
少しは刺激になるとよいのだが。

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2006年3月26日 (日)

娘の名前忘れる(術後13日目)

今日は日曜日で、実家の父と一緒に病院へ。

今日もブツブツと言葉の繰り返しが多い。
話すネタもそろそろなくなってきてしまった。でも、いろいろな刺激を与えた方が良いと思い。「ケーキ」「ペットショップ」「宝石」などの広告を持ってきて見せた。
「おいしそうだねー。」とか、「かわいいね。」などといいながら見せると興味を示す。
ダイヤの指輪を見せて、買ってもらわなきゃねー。と言うと、父が笑い、母も笑っていた。
何となく、話しに合わせることは出来る。

伊豆のパンフレットを見せると
「伊豆、伊豆」と言う。漢字も読めてるようだ。
よほど伊豆の旅行に関心があるのだろう。一番反応をしめした。

看護婦さんが来て、名前を聞くと「ユキコ」と下の名前を答えることができた。
年齢に関しては、83歳。という。
あれ?もっと年だっけ?などといっている。
次に看護婦さんが今日は誰が来てくれているの?
と聞くと、「私の夫です。」と答える。「もう一人いるよね。」と聞かれると
「ヒロミ」と言う。それは私ではない。私のいとこ。つまり母の仲の良い姪の名前だ。
あーあ、娘の名前も忘れてしまったようだ。

おかゆも食べだしたようで、体調は良さそうなのだが、とにかく今日は繰り返しが多かった。点滴の袋の種類も減っていない。まだまだ気はぬけない。

父は、お母さんのわけわからない話も「何?何?」と何度も聞き返す。
そうするとお母さんも何度も同じ事をいい止まらなくなる。
わかったふるして、わかったよ。大丈夫だよ。って言えばいいんだよ。
と父に言い聞かせても、父はすぐに「何?」と聞き返す。
まったく、誰が患者なんだか。疲れる。

その後、父と一緒に実家へ行きキャッシュカードを探す。
母がいないとどこに何があるのか、わからない父。
そろそろ病院からの請求があるはずだから、お金を準備しなきゃいけないのだけれど
肝心のキャッシュカードが見つからない。

お父さん、お願いだからしっかりして。

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2006年3月25日 (土)

院長先生の話(術後12日目)

今日は土曜日なので、夫と車で病院へ。
病室がまた隣に移動していた。
お母さんは寝ていたが、いつもつけている酸素マスクはなかった。
代わりに、口の中にチューブが入っていた。

お母さんと声をかけると、目を開けるが反応はにぶい。
「口の中にチューブ入ってるね。」と言うと、母は何かウガウガが言っている。
チューブが邪魔していて、何を言ってるか意味不明。
夫が「お母さん。」と声をかけても、あー、という感じ。
眠そうで、あまり話さない。

看護婦さんが来て、口の中のチューブを見て、あら外れちゃったのね。
と言い、チューブを鼻の下に付け替える。
なんだ。口じゃなくて鼻だったんだ。どうりで可笑しいと思った。
今までの酸素マスクが、鼻に入れるチューブに代わったようだ。

看護婦さんは、血圧や体温を測り、いつものように名前や、年などを質問する。
母は、ほとんど答えられず。
「手術後はみんなこんな感じですか?今後、もう少しはっきりしてくるんですか?」
夫が看護婦さんにたずねる。
「そうですね。CTでは問題ないので、徐々にはっきりしてくると思いますよ。」
そう言ってくれた。
「熱があるので、水枕もってこようね。」と看護婦さんに言われると、母は子供のようにうなずいて笑顔。その後は、ぶつぶつ独り言を繰り返す。
何か質問をされると、答えなければという義務感が生まれるのだろうか。

院長先生がちょうど病室に来てくれて、母に質問をし始めた。
「XXさん、こんにちは。」と言うと、母はかわいい笑顔で「こんにちは」と答える。
看護婦さんのときより、はるかに反応が良い。
お母さんったら、人を見て態度を変えてるのか?

あなたのお名前は何ですか?と聞かれると、少し考えて「わたなべ」と、はっきり答える。
あまりにも、はっきり間違えるので、おかしくて笑ってしまう。
先生も、え?わたなべって旧姓ですか? と驚く。いえいえ違います。
もう一度先生にあなたのお名前は? と聞かれると、わたなべ?とまた答える。
そして少しして「なかむら?」と答える。
なんか可笑しくてまた笑うと、母も声を出して笑う。
まあ、渡辺は実家の向かいの渡辺さんだとしても、中村って誰だろう?

「ここはどこですか?」と聞かれると
「XX区XX」と自分の住所を言い出す。
そして恥ずかしそうにくすくす笑う。母の目はまるで子供のようだ。

先生が自分の腕時計をはずして、これは何ですか?と見せると
「時計」と答える。「これは?」と眼がねを指すと
「めがね」と答える。

院長先生の解説によると、物の単語は言えるので失語症ではないです。とのこと。
これは、脳の回路が混線しているような状態だと思ってください。
お母さんは一度、血管が細くなった時期があったが、一回良くなった。
通常は、そのまま回復していって、このような混乱も消えていくんですが、お母さんの場合は、珍しいケースで、また悪くなっている。
もう13日目なので、通常は点滴の袋もどんどん減っていくんだけれども、まだ減らす事ができない。
脳のレントゲンも、今撮ると危険なのでちょっと撮りたくない。
脳血管れん縮が起きる時期の14日間というのは、あくまで統計的なデータなので、患者さんの状態によって、変わることもある。
今までの例では18日目に起きたのも2件ありました。
お母さんの場合も、14日すぎても様子を見なければいけませんね。

ただ、一番心配していた手足が良く動いている。
右足を動かす血管にあった動脈瘤が切れたので、その血管が収縮するのが一番心配だったけれど、それは大丈夫なようなので、楽観的には見てますけれどね。
もう少し、経過を見て行きましょう。

先生は、そう説明してくれて隣の患者さんへ移動した。

確かに、14日目が近づいているのに、良くならないなと思っていた。
ウェブ等で調べると20日なんて書いてあるサイトもあったので、もしかしたら母もそうなのではと、不安に思っていた。
先生から、具体的な説明が聞けけると、少し安心というか納得できた。
つまり、母はもう1週間ほど頑張らなければならないのだ。

返るとき、夫が「僕誰だかわかります?」と聞くと、ニコニコしながら答えない。
あきらかにわからない様子。
私のだんなさんだよ。と言ってもニコニコしているだけだった。
「私は誰?」と聞こうかと思ったが、答えられないとかわいそうなので止めた。

イチがテーブルにあったアメ舐めちゃったんだよ。と犬の話をするとくすくす笑う。
チーがテーブルに乗ってたんだって。とネコの話をすると、またくすくす笑う。
その後、ネコ、ネコ、とブツブツ言っていた。

その後、草もち、草もち、とブツブツ言うので、
今は桜餅だよ。あ、そうだ、桜餅の写真持ってきて見せてあげようか。というと
声を出して笑っていた。
そういう冗談はわかるのだ。

じゃあ、また来るからね。といつものように手を振る。
がんばれお母さん。

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2006年3月24日 (金)

サトシ兄の見舞(術後11日目)

朝、母の病室へ行く途中で若先生に会う。
会釈をすると、昨日よりわけわからないのは少なくなってます。
もう少しですからね。がんばりましょう。とのこと。
良い先生だ。少しでも経過を聞けると安心できる。

今日の母は眠そうだった。
お母さん、お母さん。と2回くらい呼ぶと、やっと目を開ける。
「おはよう。」と言うと 「あー」と言って少し笑顔。なんか、だるそうだ。
「いってらっしゃい」と言う。
「まだ、来たばかりだよ。今日は風邪が強くて、寒いんだよ。」
そう言っても、余り反応せず。

少しすると看護婦さんが来て、脈をはかる。手袋をはずすと、手が少し黄色い。
「黄色いですね。」と、看護婦さんに言うと
「薬一杯使ってますからね。肝機能が少し落ちてるかもしれませんね。
後で血液検査見て見ましょうね。」とのこと。
確かに、点滴の袋は増えている。
栄養剤、抗生剤、血圧を調整する黄色い液、塩分みたいなの。
もう一つ何か増えてた。たぶん血管を広げる薬だろう。
肝臓に何かあれば先生が何か言うと思うので、それほど深刻なこととも思えないが、顔も昨日より少し黄色い気がする。

薬を強くすると、わけわからな度は少なくなるけど元気がなくなる気がする。
元気がある日は、わかわからない度が増しているような。
どうなんだろう。

食事のチェック表には、朝ヨーグルトとあったので、
「ヨーグルト食べたの?」と聞くと「食べてない」と言う。
看護婦さんが、今日のお昼から少しおかゆを食べてみましょうね。
と言っていた。体は回復しているようだ。

今日はほとんど寝ているので、帰る事に。
じゃ、おかあさん。また来るね。
というと、右手を振って見送ってくれる。
手を振っている姿を見ると、なんかとても寂しくなる。
いつも後ろ髪をひかれる思いで病院をあとにする。

今日は午後、いとこのサトシ兄ちゃんが、お見舞いに来てくれた。
父と一緒に病院へ行ったとのメールが届く。
帰り際、健気に右手を振って「大丈夫だよ」という姿を見て涙が出ました。
おやじにまだ連れて行かないよう頼んでおいた。
会社でそのメールを見て、私も涙が出た。

サトシ兄ちゃんは、北海道から東京に転勤で来ていたけれど、忙しくてなかなか家には来てくれなかった。久しぶりに会えて、母は嬉しかったと思う。
忙しいのに、本当にありがとう。

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2006年3月23日 (木)

意味不明(術後10日目)

10時半頃病院へ。
病室へ行くと母は目をつぶっていた。「おはよう」と声をかけると目を開けた。
母の顔がすっきりして見えたので、「今日は顔色がいいね」と言うと、
「今日は顔色がいいね。昨日よりいいよ。」と、私の事を言う。
「私じゃなくて、お母さんだよ。顔色がいいよ。」そう言うと、母はクスクス笑っている。

抜糸した傷跡も、すっかり乾いている様子で、うっすら毛も生えている。
昨日より元気ではあるが、言っている事がかなり意味不明。
いろいろ話すが、何を言っているのかよくわからない。

若先生が着て経過説明をしてくれる。
「また、わかわからなくなっちゃってます。ちょうど一番血管が細くなるときだから、薬を増やしました。あと4、5日しのいでくれればね。
それがすぎれば、必ず血管が広がる時期が来ますから。がんばりましょう。」
「ありがとうございます。よろしくおねがいします。」
私には、それしか言えない。
やはり、言ってる事が意味不明なのは、血管のせいなのか。

時折、外の通りでトラックが走ると、騒音がする。
「うるさいね。ここは3階だからねー。」と母が言う。
「ここは一階だよ。外は道路なんだよ。」と教えると、「ああそうか。」と言う。
でも、1度3階へ行って、一階に戻ってきたんだ。なんて言っている。
また、わかんないこと言っていると思ったが、よくよく考えてみると、手術のときは3階へ行ったのだ。
「お母さん、3階へ行ったの覚えてるの?」と驚いて聞くと、
「うん。」と答える。
・・・・本当にわかってるのだろうか。

何時?と聞くので、私が来るのは朝だよ。
弟は夕方に来るんだと教えてあげる。そうか。と納得した様子。
そうこうするうちに、隣に新しい患者さんが入ってきて、看護婦さんに病室から出るように言われる。

しばらく、近くのMRI待合室で座っていると、隣に入る新しい患者さんの旦那さんが座っていた。高齢で看護婦さんに聞かれていることも、聞き取れない様子。
看護婦さんは苦労をして、息子さんの連絡先をやっと聞きだしていた。年を取るとどこの家族も大変だな。しみじみ思う。

少しして、病室に戻ると、酸素マスクが外れていたので直してあげると
「あー、あんたか。」と笑う。
「じゃ、もう会社行くからね。また来るね。」
というと笑って手を振ってくれた。

その足でまた大師へ。
あと5日。 どうか血管が縮みませんように。
ひたすら祈る。

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2006年3月22日 (水)

抜糸 (術後9日目)

朝10時頃、病院へ。
「おはよう。」と声をかけると、母は目を開けた。
でも、眠そうな感じ。
少し話しかけるが反応が悪いので、なんとなくベットの脇に立つ。

すると、先生たちの回診が始まったので、病室から外へ出る。
先生に会釈するが、何の説明もなし。
特に、変化がないためと理解する。
回診と検温、血圧などが終わり、病室に戻ると、かなり目を覚ましている。

よく見ると、頭のテープがはずされていた。抜糸が終わったのだ。
母の頭は、耳の上辺りからぐるっとへアバンドのように縫い目がついていた。
スゴイ傷跡だ。こんなに切ったのか。今さらながら驚く。
しかし、1週間で抜糸とは早い。
しかも、頭の傷は痛くないというから、またまた驚きだ。母のためには良かったけれど。
私が去年やった盲腸の傷は泣くほど痛かったのに、それとは大違いである。

看護婦さんが、「点滴はずれちゃうので。また手を手袋で縛っちゃった。ごめんなさい。」
と言うので、「大丈夫です。どんどん縛ってください。」
と答えると、母が声を出して笑っていた。

先週、新しい洗濯機を買ったから、夫が上に棚をつけた話をする。
その棚はホームセンターのドイトで買った安い板なので、曲がっているんだ。
と言うと、また声を出して笑っていた。父は大工なので、そういう話には興味があるのだ。
お父さんが暇になったらつけてもらおうかな。と言うと「そうだね。」と答える。
こういう会話はわりとまともに出来る。

右隣のおばあさんを世話する看護婦さんと目が合い、母は会釈する。
おばあさんが、透析のためストレッチャーに乗せられて出て行くのをずーっと見ている。
「おばあさん、透析なんだって。」
と言うと、「あー、透析。おばあさんだから。」と言う。
お母さんも、十分おばあさんといえる年なのだが、孫もいないので自分のことはそうは思わないのだろう。

左隣のおじいさんが、風呂から帰ってきて車椅子に乗っているのを見て
「アレはだれだ?」と聞く。「隣の患者さんだよ。」と教えてあげる。
いろいろと周りの事に興味が出てきたみたい。

壁にかかった温度計を見て、1時間経ったみたいなことを言うので
あれは温度計だよ。と言うと、あー、なんだ温度計か。ふーん。と言う。

さっきヨーグルト食べたの? 昨日はゼリーも食べたモンね。食事の話をしてみる。
ヨーグルトとゼリーの繰り返しなんだ。と言う。
昨日、プリンを食べていたと弟に聞いたので、「プリンは?」と聞くと、
食べてない。ヨーグルトとゼリーだけだ。と言う。
その辺の記憶は曖昧だ。

でも、看護婦さんに言われる事は、意識がはっきりしている時は、ちゃんとわかっているようだ。マスクをつけなきゃいけないとか、点滴をはずしちゃいけないとか。

しばらくすると、会社行くんでしょ。もういいよ。見たいな事をいう。
「そう、じゃいってくるね。」と言い手を振って病室を出る。

弟が4時頃行ったときは、またかなり眠そうにしていたそうだ。
会社へ行くのか?いってらっしゃい。と、母に言われたらしい。
私の行動と勘違いしているのだろう。

今日で9日目、あと5日。どうか頑張って欲しい。

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2006年3月21日 (火)

ゼリーを食べる(術後8日目)

今日は、祝日。病院へ行ったのはちょうどお昼の時間だった。
顔を見せると「今何時?」と聞く「12時半だよ。」と言うとふーんと言う。
最近、時間を聞いてくることが多い。
今日は暖かいから、もうそろそろ桜が咲くよ。
みたいな話をする。

ヘルパーさんがやってきて、お昼食べる? と聞かれると、
なんとお母さんったら、バタバタしながら自分で起き上がるではないか。
すごく食事を楽しみにしてるんだね。
ヘルパーさんが「自分で起きていいんですか?」と看護婦さんに聞くと
「ダメダメ、ベット起してあげて。」と言っている。

あらま。ゆっくり起きなきゃいけなかったんだ。
「お母さん。あせらないで。無理して自分で起きなくていいからね。ゆっくりね。」
と声をかける。

ヘルパーさんがゼリーをスプーンであげると、パクパクとよく食べていた。
目は、どこかじっと一点を見つめている。
美味しい?と聞くと、うなずいて「おいしい」答える。
その後、はみがきも自分の右手で持って磨いていた。というか、こすっていた感じ。
ヘルパーさんに、口をゆすいでもらう。
このヘルパーさん、なんと残った麦茶でうがいさせようとしていた。

え?麦茶でうがいするの?と驚いて言うと、しぶしぶ水を持ってきてくれた。
なんか、そんなんでいいんですか? と不信感がつのる。
でも、母の面倒をお願いしている以上、文句言うのも失礼だ。
あれ?もしかして、私がやってあげればよかったのだろうか。
きっとそうだ。私ったら、まったく気が利かない。

その後も、少し母は座っていた。
隣のベッドに新しく男の患者さんが入った。
(部屋数が限られてるとはいえ、男性と同室とは驚きだ。)

その患者さんの家族が3人くらい見舞いに来ていた。
その様子がめずらしいのか、母はじろじろ見ていた。
通勤が大変よねー。といった会話が聞こえてくると、なぜかそれを真似て「大変なんだよ。大変なんだよ。」と繰り返す。分かったと言って、制する。
看護婦さんが大声で「実験室!」と叫んでいたのが聞こえると、
実験室、実験室・・・・・と繰り返す。
弟が行ったときには医療用のゴミ箱を見て、「医療ミス、医療ミス」と繰り返していたらしい。
まともに話すときもあれば、わかわからなくなるときもあり、言ったり来たり。

しばらくして、そろそろ寝る?と聞くと、
そうだね。そろそろね。みたいに納得してくれたので、ベッドを下げる。
すると、すぐに眠りに入ったので、疲れたのだろう。

最近、ベットの周りがくさいのは、オムツに大便をしているせいかな。
と思う。食事も開始したから、排泄もいままでより臭うのだろう。
でも、本人にその自覚はないようだ。
自覚があるくらいに回復して欲しいが、自覚があればあったで、自分がおむつをしている事実は辛いかもしれない。

帰りに、めずらしく父から電話が入っていたので電話する。
母がゼリーを食べていた様子を話すと喜んでいた。
でも、わけわかんないこといってるけどね。
と言うと、それでも何の反応もないより良いという。
自分が行くのは夜で、寝てばかりで寂しいと言っていた。

頑固でわからずやの父だけど、母のことを誰よりも心配し、誰よりも頼りにしているのは父かもしれない。

だから、お母さん、もう少しがんばって。
お父さんのためにも、もう一度、元気になって。

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2006年3月20日 (月)

脳血管れん縮(術後7日目)

ベットのそばへ行くと、今日はなんとなくだるそうだというのがわかる。
私の顔を見ると、「あー」という顔をする。
「会社の帰りか?」と聞くので「これから行くんだよ」と言うと、ふーん、とうなずく感じ。
でも、それ以上の反応はない。

何かブツブツ言っているが、昨日よりも言葉がはっきりしない。
何を言っているかわからないことが多い。
ここにホコリが、といいながら手で空気をかいている。
そこには、何もないのに。

昨日が元気だっただけに、今日の様子を見るとちょっと辛い。
若先生が私に気づいてくれて、経過説明してくれた。
手術してちょうど一週間なので、ちょうど血管が縮む頃。
ちょっとわけわからない事を言っているのも、血管が縮んで血流が悪くなってるせいだと思われる。その治療はしてますからね。あと1週間どうにか頑張って欲しい。
手足は良く動いてますよ。

手術から今日で1週間、7日目である。8日目がピークと言われている。
ここ一週間が頑張り時だ。
お母さん、もう少しだから、がんばって。

看護婦さんの出入りが激しく、布団の交換もやってきたので席をはずす。
少しして戻ると良く寝ていたので、そこで帰ることに。
大師へ寄って、母の血管がこれ以上縮まないよう、祈る。

今日のことを弟にメールするが、返事なし。
ショックだったのだろうか。夕方、どうだった?とメールするが返事なし。
何かあったのか??
なんと、今日は携帯を忘れたとの事。

おいおい、かんべんしてくれ。病院からの緊急電話は弟の携帯なのに。

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2006年3月19日 (日)

反応良好(術後6日目)

今日は日曜日。風が強いので夫と車で病院へ。

母が夫のことを認識できなかったらどうしようと思っていたが、大丈夫だった。
今日は、昨日よりも元気で、反応もよく話もきちんとできていた。
お母さん元気ですか?と夫が聞くと、大丈夫だと答える。

昨日、おばちゃんは、トンちゃんの家に泊まったことを話すと
また泊まって来ればいいのに。と言う。
今何時なの?と、初めて時間も気にしていた。

母の点滴は、栄養剤と抗生剤と食塩? 3本付いていた。
私も去年盲腸で点滴を毎日していたから、何のための点滴かわかってるんだ。
経験者だからね。
そう自慢気に話すと、笑っていた。

今までは、何を聞いても虚ろな感じで、単語でしか答えられなかったが、今日は反応も早く、普通に話していた。
ただ酸素マスクをしてるし、ろれつも余りまわってないので、半分くらいはよく聞き取れなかったが、わかったふりをした。
また、何回も繰り返されてしまうと、辛いから。

手を縛られていたので、病院にいる間だけははずしてあげる。
すると、やはり頭のテープをとろうとしたり、口の中をかいたりする。
口は渇いてしまい、舌が真っ白で皮がめくれていた。
酸素マスクをしているが、食事をしていないから仕方がないだろう。
顔を拭いてあげようか?というと、うんうん。とうなずくので、給湯室へ。

この給湯室。ものすごく臭い。トイレと一緒になっているせいだろうか?
今さら移動させることもできないので仕方がないが、
できればもっと綺麗な病院に入院させてあげたい。
この病院は、私が生まれたときには、もうすでにあったほど古く、汚いのも仕方ないが、今どき、こんな古い病院もめずらしいのではないだろうか。
手術直後でさえ、個室がなく、3人部屋で寝ていたのだから。

結局、お湯の出し方がわからず、水でタオルを絞り少し拭いてあげた。
すると、看護婦さんがホットタオルを持ってきて、体を拭いてくれるという。
よかった。看護婦さんにお願いして、席をはずした。
10分ほどして戻ると、寝ていてだるそうだったので、そこで帰ることにする。
また来るからね。というと「ごくろうさま」と言う。

話したのは20分位だったと思うが、今までで一番元気で、ちゃんとした会話ができた。
話すときと、寝るときのメリハリがついてきてる気がする。
ゆっくりでもいいから、回復に向かって欲しい。

あとは、血管が縮まない事を、祈る。
いつもどおり、大師へよってお祈りして帰る。

いとこのアタル兄ちゃんから電話。
お彼岸なのでお墓参りに言って、お母さんのこともお願いしてくるとの事。
みんながお母さんの事を心配してくれている。
ありがとう。ありがとう。よろしくお願いします。

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2006年3月18日 (土)

おばちゃんの見舞(術後5日目)

今日は、母の妹であるマチコおばちゃん、トンちゃんと一緒に病院へ。
病室は、隣に移っていた。
隣も3人部屋で、その真ん中に母は寝ていた。
ベッドの横へ行くと、母はすぐに目を開けた。
 「おばちゃんがきてくれたよ。」
そう言うと、おばちゃんの姿を眼で追い、確認していた。
昨日よりもだるそうな感じ、熱が出たせいだろうか。

いつも元気でうるさいほどおしゃべりなおばちゃん。
でも、今日はとても大人しかった。
お母さんの顔が見れただけでも、ほっとしたようだ。
おばちゃんも去年乳がんの手術をしたばかり。
抗癌剤の副作用で髪の毛が抜けてしまったといい、かっこいいカツラをかぶっていた。

おばちゃんは乳がん手術のときに母からお守りをもらったのだという。
これのおかげで助かったんだよ。とお守りを持ってきていた。
それは私が母のためにもらってベッドにかけてあるお守りと同じ、
「身代わり守り」だ。
今回もこのお守りにがんばってもらわないとね。

オバちゃんたちと、伊豆へ旅行に行くんだもんね。
と言うと、「行く、行く。」と、言う。
今朝、弟が来たか?と聞くと、来たと答える。
今日は、つじつまがあっている。
他にも何か言っていたが、よく聞き取れない。
聞き返すと、また繰り返し言いそうなので、わかったよ。大丈夫だよ。と答える。
わかったというと安心するようだ。急いではいけない。

母が「疲れた」と言うので、少し寝てね。と言って帰ることに。
じゃあ、またくるからね。と言うと「ありがとう」と言っていた。
おばちゃんも、近いからまた来ると言って、病院を後にした。

その後、おばちゃんは、お母さんに昔とても世話になったこと、共に苦労してきた事
すごく感謝していることなどを口にして、涙を流していた。
それを見て私も涙がポロポロこぼれてしまう。
なんだか、若くて元気な頃の母を想像すると哀しくて仕方ないのだ。

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2006年3月17日 (金)

59歳、59歳(術後4日目)

朝、母の病室の入り口に立ち、まず母がいるかどうか確認してしまう。
なぜか不安なのだ。
入り口においてある、消毒液で手を消毒して病室へ。

今日は、看護婦さんに名前を聞かれると「XXXユキコです」と、答えた。
ろれつはまわっていないけれど、ガラガラ声だけど、声が出ている!
すごい! とても嬉しくなる。

ところが、年は? と聞かれると、68歳です・・・ 59歳です・・・・・
あれ? 混乱しているのかな。
「ここはどこですか?」 ・・・・・・・ 「びょういん」
「どこの病院?」 ・・・・・・・・ 「いたばしの病院」
なぜ板橋なんだろう? 駒込病院と勘違いしてるのだろうか。
脳の手術なら駒込と思っているから、そのせいなのか?

その後、看護婦さんがベットを起こしてくれて、歯を磨いてくれた。
体を起こすと、ずっと目を開けている。
焦点はさだまらず、どこかをジッと見つめる感じ。

何も口にしていないので舌が真っ白になっていた。看護婦さんが綺麗に拭いてくれた。
水を口元にもっていくと、自分で口をゆすいでいる。体は回復しているようだ。

その後、まだ座っていたいというので、少しの間ベッドを起こしておいた。
椅子に置いた私のバッグを見て「あれ、あんたのバッグ?」と聞く。
そうだよ。丸井で買ったの。会社用のバッグだよ。
というと、ふーん。というような顔をする。

「バランスボール買ったんだって? あれ腰にいいんだよね。」と言うと、うなずく。
「はやってるもんね。」と言うと、「はやってる」と言ってうなずく。
本当にわかっているのかな? 適当に合わせているのかも。
母はもともと見栄っ張りで、わかったふりをするから、ちょっと怪しい。

その後、若先生が来て、もう一度母の名前を聞く。
母が名前を答えると、「ここまでは言えるんだよね」と言う。
そして年は?と聞かれると、また65歳とか、58歳とか言う。
私が、違うよ69歳だよ。というと、59歳、59歳、59歳・・・・・・
と言い続け、止まらなくなってしまった。
ああああ、どうしよう。
あせって、「わかった。わかった。」と言って、繰り返すのを辞めさせた。

先生によると、今のところ脳梗塞は起きてません。
2週間頑張りましょう。といつものコメント。

「じゃ、会社行くからね、またね。」と言うと、
「いってらっしゃい。すぐだからね。」と言う。
何がすぐだからね。なのだろう? たぶん、すぐ治るからね。と言う意味だろうか。
病室を出て行く私に手を振ってくれた。見送られると、辛い。

夕方、弟が病院に行き、「お姉ちゃん来た?」と聞くと、
「来てない、来てない、・・・・・・」と繰り返したらしい。
弟は、かなり凹んでいた。涙が出そうになったと言っていた。

夜、父が行ったときは熱があったというメールが弟から入る。
38度9分。少し高い。
でも、外科手術をしたときは熱がでるものだ。という返事を書いた。
私が盲腸のときも、確かに高い熱は出たから。
それが母の場合に当てはまるのかよくわからなかったが、なんか弟を安心させてあげたかった。自分を安心させたかったのかもしれない。

毎日、病院に行く事自体はたいしたことないが、母の様子を見ると辛い。
いつもそのまま帰れずに、半べそかきながら大師でお参りをする。
それから、会社へ向かうのだ。
でも、一番辛いのは母なのだ。私たちが、直るのを信じて頑張らなければ。

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2006年3月16日 (木)

意識レベル弱い(術後3日目)

母の手術の日から3日間、会社を休んだ。
今日からは午前中病院へ行き、午後から会社へ出社することにする。

病室へ行くと、母はいびきをかいてよく寝ている。
いびきは、「っっぐあー、っぐあー」と少し喉がつまったような感じの音。
私の夫は無呼吸症候群なのだが、そのいびきの音に似ている。
脳梗塞になったのは、このせいもあるのだろうか。

担当の若い先生が、私に気づき病状を報告してくれた。
今のところ手足は良く動いてますよ。良好ですが少し意識レベルが弱いかな。
あとね、言葉がね、なかなか出ない。
あとは、血管の収縮の克服ですね。あと2週間、耐え忍びましょう。
そう言って、病室から出て行った。

確かに、思ったより覚醒していないかなという気はする。
言葉を話そうとはしてるみたいだけど、声にならない。
あせってはいけない。大手術だったのだから。

今日は昨日より良く寝ている。行く時間によって、覚醒レベルが違うのだろうか。
「おかあさん」と呼びかけると、目をうっすら開けるが眠いのかすぐ閉じてしまう。
昨日の方が起きていた。

でも、先生からの呼びかけより、私の呼びかけの方が反応するみたいだ。
昨日、クニが来た?と聞くと首を振る。
弟は昨日の夜病院に来ているのだが、寝ていたので起さなかったらしい。
少し覚醒すると、手袋を取ろうとしてもがく。足をばたばたさせる。

帰るときに、じゃこれから会社いってくるね。
というと、「いってらっしゃい」と口が動いた感じ。
昨日と比べて、あまり変化なし。

帰りにまた大師によってお祈りをする。
どうか、2週間、何事も起こりませんようにと。

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2006年3月15日 (水)

手足よく動く(術後2日目)

母は昨日よりも顔色がよく、体調も良さそうだった。
昨日の方が苦しそうな顔をしていた気がするからだ。

看護婦さんがいろいろ命令する事に、母はきちんと応えていた。
「バンザイしてください」 「ひざまげて、足上げて」 
などと言われると、一生懸命にバンザイをして、足を上げていた。
体温計も昨日より、きちんとわきをしめられるようになっていた。

「お母さん」と呼びかけると、両目を半分くらい開けてくれた。
昨日よりも目が開いている。

「足痛い?」と聞くと「痛くない」と声を出さずに応える。
すごい! ちゃんと会話になっている。

相変わらず、激しく足を動かし寝返りを打っている。
すぐに酸素マスクをはずそうとするので、今日も点滴をしている手だけは縛られていた。

「マスクをはずすとタンが固まっちゃうから、ダメだよ。」
目を閉じたまま、うなずく。 わかってはいるようだ。

帰るとき 「また来るね」と言うと。
「ありがとう」と口が、動いていた。 声は出ないが、とても嬉しくなった。

主治医の先生が、足も良く動いているので術後は良好ですよ。
あとは血管収縮の治療をしているので、それを克服していくことですね。
淡々と説明してくれた。

帰り際、看護婦さんに青いビニールのごみ袋を渡された。
そこには、母が着てきた洋服と靴が入っていた。
「おしっこが着いてるので、ビニールに入れておきました。持って返ってくれますか?」
母は、この病院に到着するまでに、すでに失禁するほど重症だったということだ。

その足で家に帰ろ予定だったが、青いゴミ袋を抱えて電車に乗るのはさすがに恥ずかしい。とりあえず実家に戻り、靴だけ実家の玄関に置いた。靴だけ帰宅。
そして、洋服は紙袋に入れ家へ持ち帰り、洗濯機に放り込んだ。

おしっこの匂いが充満して、臭くて哀しかった。
洗濯が終わって外に干したら、少し気分が晴れた。
綺麗に洗った洋服をたたみながら、なぜだか母がかわいそうで悔しくなった。

「お母さんは、ぜったいこの洋服を着て家へ帰るんだ。」
洋服をたたむ手に力を入れながら、強くそう思った。

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2006年3月14日 (火)

合併症(術後1日目)

手術から無事一夜が明けた。少しほっとする。
手術も危険だったが、手術をした日の夜も危険だと言われていたからだ。

昨日の手術は、4時間の予定が、6時間もかかった。
頭を開けるのに、1時間半、その後の手術に1時間半から2時間。
それ以外の時間は、止血に費やしたと言う。

母はずっと脳梗塞を予防する薬を飲んでいたので、そのせいで血液がさらさらすぎて、手術中に血液がジワジワ出てきてしまい、それを止血するのが大変だった。
また、血管が固くなっていたため、動脈瘤をクリップで止めるに時間がかかったという。
普通の血管は赤紫色だが、母は動脈硬化が進んでいて黄色く固くなっていたそうだ。
変色して固くなった母の血管を想像して少し哀しくなる。

先生の説明によると、手術自体は成功、術後の経過も良好とのこと。
手足も良く動いている。ただちょっと右足の動きが弱い。
CTで見ると、左の脳の部分で白くなっているところがある。
白く映るのは血を表しており、その血のせいで動きが弱いらしい。
でも、徐々に吸収されていくでしょうとのことだった。
とりあえず、手術は成功で一安心した。

ただ、くも膜下出血の場合、手術成功で終わりではない。
まだ、以下のような合併症の恐れがあり、これからそれを乗り越えなければならない。

  • 脳血管れん縮
  • 水頭症
  • 持病の悪化

脳血管れん縮とは、出血したときの血液が血管の外側にくっ付き、その血液のせいで、脳の血管が収縮する恐れがあるという。
つまり、血管がちぢみ、脳梗塞をおこす可能性があるのだ。
この脳血管れん縮が発生するは、手術後4日目から2週間の間。
そのため、血管を広げる薬を投与し、血圧を上昇させるようにするが、このような処置をしても脳血管れん縮が起きる場合がある。
だが、現代の医学ではこれ以上はできないとのこと。
その他の症状については治療法が確立している。今後、2週間乗り切りましょうとのこと。どうか、血管が縮まないようにと、祈る。

母は、頭に白いテープが張られ、頭から血液を出すチューブがついていた。
口には酸素マスク。足には血栓予防の白い靴下。たくさんの点滴の袋。
手にはミトンの形のメッシュの手袋を付けられ、ベットに縛られていた。
かわいそうだが仕方が無い。無意識のうちに、点滴や吸入をはずしてしまうらしい。

「お母さん!」と声をかけると、左目だけ少しだけ開く。
でも、それ以上は重くて空けられない様子。
ずっと寝ていて、腰が痛いのだろう。寝返りを打とうと、悪戦苦闘している。
手を縛られているので、寝返りがうてず足をバタバタさせていた。
ちょっと、辛そうでは合ったが、それだけ反応があるのは良い事だ。

大師でお守りをもらってきたよ。ここに掛けておくね。
ベッドの手すりにお守りを縛り付ける。
「はーはー」と口を動かし、何か言いたそうにしていた。
何となく解っているのかな。

看護婦さんに「体温は計りますから、腕をぎゅっとしてください。」
と言われると、わきの下をしめていた。言われている事は理解しているのだ。

先生は、どんどん話しかけてくださいと言う。
話しかけようとするのだが、そんなときになると何を話してよいのかわからなくなる。
反応がない相手に話すのは難しいものだ。

実を言うと、もっと覚醒しているのかと思っていた。
目を開けて話せるのかと思っていた。少しがっかりした。
でも、大手術だったのだ。疲れているのだ。
目を覚ますにはもう少しかかるのだろう。

でも明日は、目を開けてくれるといいな。

お母さん、がんばって。

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2006年3月13日 (月)

手術の日

朝、8時に病院へ。
母は、昨日よりは落ち着いた感じに見えるものの、とても苦しそうにしていた。

8:30に担当の若い先生からの説明を受ける。

母の場合、動脈瘤の一部が破れ、血液が脳内に流れたものの、現在はかさぶたのようなもので血は止まっている。でも、必ずまた破裂するので、その動脈瘤をクリップで止める手術をするとのことだ。

手術をする前に、まず動脈瘤の場所を突き止めなければならない。
そのため、腕からカテーテルを通し造影剤を入れて撮影をするという。
造影剤にアレルギー反応が起こる場合もあり、撮影の最中に再出血する場合もあるという。この検査自体にもリスクが伴う。
同意書にサイン。

幸い、撮影は無事に済み、動脈瘤の場所が判明した。
右足を動かしている血管に今回出血した動脈瘤がある。
この動脈瘤のある場所は、脳の奥深い部分ではないため、難しい手術ではあるものの、その中では比較的簡単であるとのことだった。

もちろん、頭を切っての手術だ。リスクがないわけではない。
ただ、くも膜下出血の場合、50%の人が出血を起こした時点でダメだとのこと。
手術ができるのは、ラッキーな方だというのだ。
担当の先生は30歳前後の若い先生だが、手術は院長先生が執刀してくださるとのこと。それはありがたい。心強く感じる。

12時半に院長先生から再度詳しい説明を受ける事に。
院長というからには、年配の白髪交じりで威厳を持った人。なんて勝手に想像していたが、40代後半くらいのエリートサラリーマン風の先生だった。

個室で、脳の模型を見せながら、どんな手術をするのか詳細に説明してくれた。
脳を開いて、さらに左右に脳の隙間をぬって侵入し、顕微鏡で見ながら動脈瘤をクリップではさみ出血を止めるのだという。
説明を聞けば聞くほど、恐ろしくなる。想像を超えた世界である。
手術は、説明のすぐ後、1時半から開始となった。

何枚もある同意書に父がサインをしている間に、病室から目隠しをされた母がストレッチャーで出てきた。
あわててストレッチャーについて3階の手術室までついていく。
手を握り「お母さん大丈夫だよ」と声をかける。
目隠しをされていたので表情はわからなかったが、安心したように感じた。

1時半:手術開始

父と弟と代わる代わる病院を離れ、それぞれの用事をこなす。

私は、大師へ行って手術が成功するようお参りをする。
私が去年の盲腸を手術したときに母がもらってくれたお守りを返し、母のために改めてお守りを買った。
どうか、うまくいきますように祈りをこめて。

手術は、3時間半から4時間かかるとのことだった。
1時半に手術室に入り、麻酔などの処置をして、実際の始まりは2時としても5時半か6時には終わるだろう。
6時前くらいから、エレベータが開くたびに、ストレッチャーが出てこないか見ていた。

ところが6時を回っても下りてこない。
3階の手術室の前まで行き、看護婦さんに聞くが担当が違うのでわからないと言う。
脳外科に行っても、ナースステーションには誰もいない。
母の病室にもいない。

7時を回ってもまだ終らない。
ろくでもない考えが頭をよぎる。不安がつのりお腹が痛くなる。
待合室、エレベータ前、手術室、ナースステーションを何度も行ったり来たりした。
ナースステーションでやっと人をつかまえた「終るのは8時の予定ですよ」とのこと。
それを聞いて、かなり落ち着く。

そして、ほぼ8時に母は下りて来た。
ストレッチャーを追いかけていくとCT室の中へ入っていった。
若い方の先生が私たちに気づいてくれて
「今、CT撮ったら説明しますからね」と笑顔で答えてくれた。

笑顔。
うまくいったのかもしれない。
院長が出てきて「クリップは予定通り止めました。あとで詳しい説明をします」
とのこと、とりあえず手術成功だ。
よかった。よかった。

その後先生から、手術後にも何度か山を越えなければならないとの説明を受ける。
でも、手術としては成功したので、最初の大きな山は越えたのだ。
本当によかった。
胸のつかえがとれ、少し軽くなった。

お母さん、よく頑張ったね。

もうひとふんばりだからね。

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2006年3月12日 (日)

くも膜下出血で入院

父から突然の電話。
父からの電話は、いつも緊張する。
なにか良からぬ知らせの場合が多いからだ。

母が、また入院した。
以前と同じように、気持ちが悪くなり、吐いて、血圧が180に上がっていた。
以前と同じように、また救急車を呼ばず父の車で以前入院していた病院へ行った。
以前と違っていたのは、足をバタバタさせるほど頭が痛かったこと。
そして、検査の結果、今回は脳梗塞ではなく、くも膜下出血だったことだ。
そこの病院では処置できないため、別の病院へ搬送された。

頭が痛くなったのは、午後の3時頃。
そして、私に電話があったのは夜の7時だ。なぜ、すぐに電話をしてくれないのか。
すぐに車を飛ばして、夫と病院へ向かうが心臓がドキドキして怖かった。
ものすごい不安に襲われ、お腹が痛かった。

弟にも携帯で連絡を入ると、仕事で家へ帰る途中だという。
母が入院したことを伝えると、驚いている。
一緒に住んでいる弟にもまだ知らせていないなんて。

やっと、病院に着くと、ちょうど入り口で父と弟に会った。
小さい血管が切れているそうだ。大きい血管が切れると危ないらしい。
明日まで持てば手術ができるという。
今、集中治療を受けている。

睡眠薬で眠らされている母は、頭を左右に振り、息が荒く苦しそうだった。
まだ意識があるため、頭痛やその他の要因で血圧が上がると再出血の恐れがある。
そのため、睡眠薬で眠らされているのだ。

苦しそうにしている母に、何もしてあげられず、哀しかった。
こんな危ない状態なのに、なんで3人部屋なんだろう。
なんでこんな汚い部屋なんだろう。
仕方が無い、もう40年以上も前からある病院なのだ。

去年夏に退院してから、元気になろうとがんばっていた母。
腰が痛くて、うまく歩けないから、昨日バランスボールを買って喜んでいたという。
マチコおばちゃんたちと、伊豆に旅行に行くのを楽しみにしていた。

また、一緒に旅行にいけるよう、頑張って欲しい。

どうか、良くなって欲しい。

どうか母を助けて欲しい。

お願いします。

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